思えばこの日からもう6年も経ってしもたんやね。

雨模様の入学式 ― 6年間の旅路のはじまり

あんなにちっさかった長女が160センチを超え、もはやトイザらスに興味を示さなくなった。
6年という年月はそれぐらい人を変えてしまう。
なのに、父親はどうよ?と言われるとなかなか自分でもツライものが(泣)
悪くはなってないけども、大して良くもなってないような気がしないでもない。
数センチぐらいは前に進んでいるとは思うのだけれど。

コロナ禍になってからは各行事は保護者1名のみ、という縛りがありましたがこれは解除されたので夫婦で卒業式に参加出来ました。
自分が小学校を卒業する際にもやった「呼びかけ」も相変わらずイベントとして盛り込まれてましたが、もはや日本の伝統なのかも。

どうやら最初に行われたのが1955年で、教育者である斎藤喜博氏が考案したものだとか。

斎藤校長による学校改革の集大成が「卒業式」であった。当時行われていた一般的な卒業式は、「君が代」斉唱、教育勅語奉読、町長祝辞、来賓祝辞など形式的ものが多かった。そんな中で、本当の感動が得られる行事にしようとして取り入れたのが「呼びかけ」である。

卒業式の呼びかけは、卒業式を子どもたち一人一人が作り上げる行事にしてほしいとの思いから考えられ、1955年(昭和30年)3月に日本で初めて島小学校で行われた。その呼びかけの内容は斎藤校長により考えられ、それを子どもたちが演じた。また、この時の呼びかけには卒業生や在校生のほかに、教師や保護者の台詞もあった。(雑学ネタ帳:卒業式の「呼びかけ」が誕生した経緯

そんな昔にひな形が出来てたのであれば、自分もそりゃやってますわね。
そのフォーマットが今も変わらず残ってるってのもすごい事よね。

ただ、合間合間に歌われる歌が・・・・なんともJ-POP過ぎる歌詞なのがちょっとなあと。
「君が代斉唱」は残ってるのに「仰げば尊し」はなくなるんよなあ・・と思いながら式を見ておりました。
考えてみたら自分の卒業式の時は「巣立ちの歌(1965)」だったので「呼びかけ」が始まって10年後の「新曲」やったわけです。

て、事はやっぱり時が流れるにつれて曲も更新されていくんやろね。
今回歌われた歌がなんて曲かはわからないのだけど、なんていうか・・・グダグダと状況説明が多くて逆になんも残らんよね、という感じが。

「仰げば尊し」も「巣立ちの歌」も極力無駄な言葉は省いて、卒業という情景のみを詰め込んであるのが素晴らしいと思うんですわ。

花の色 雲の影
なつかしい あの思い出
過ぎし日の 窓にのこして
巣立ちゆく 今日の別れ
いざさらば さらば先生
いざさらば さらば友よ
美しい 明日の日のため

風の日も 雨の日も
励みきし 学びの庭
かの教え 胸に抱きて
巣立ちゆく 今日の別れ
いざさらば さらば先生
いざさらば さらば友よ
輝かしい 明日の日のため

なんとも無駄のないこのシンプルさ。だからこそ卒業式のスタンダードになるわけですよ。

子育てに関わってから何度も何度も聴かされてきた「Believe」みたいに「黙って手を取りながら一緒に歩いてくれるよね?」とか「お前それ今言わなアカン事か?」って聞き返したくなるような、無駄な部分がとってもイラッとするのだわ。

ってな事を思いながら、わが娘の卒業証書授与を眺めたり、退場していく時の晴れやかな顔を見る。
思うことは、毎日元気に学校へ通ってくれたという事が父親としては一番嬉しかったという事。

春からは中学生。まだ兆しの見えぬ反抗期なんぞもいずれ来たりするのであろう。

親バカではありますが、6年間お疲れ様でした。そしてありがとう。