台風がまた絶妙なコースで日本に近づいている。
きれいに沖縄を直撃してから、日本列島を根こそぎいきまっせという
無駄な意気込みを感じてしまうこの進路予想図。
この間の台風の時もけっこうすごかったけど、また憂鬱やなあと思いながら
ふと「台風」という言葉から、想い出が頭の中で走り出す。
関西地方で育ったせいなのか、「過去こんなすげえ台風が」という歴史を
小学校でまず習うわけです。
そこでまず吹き込まれるのが「室戸台風」だった。
名前は授業で聞いてなんとなく覚えちゃあいるが、とWikipediaにアクセス。
・・・死者2702人・・・・
なんちゅう恐ろしい数字だ・・・・
しかも上陸時の中心気圧が911.6ミリバール!!
最大風速は60mを記録した後、観測機が吹っ飛んだそうな。
このサイトには写真もあって生々しいです。
http://www.tanken.com/muroto.html
以下引用。
それにしても、どうしてこれほどまで被害が拡大したのか?
もちろん台風が強大だったのは言うまでもないんですが、実はこの当時、本当に危険な時にしか警報を出していなかったため、市民に警報への馴染みがなく、防災意識はまったくありませんでした。つまり市民は「いつもと一緒」の気分で家を出て、そして被害にあったのです。
当時、風速60mを観測した測候所の職員は手記にこう書いてます。「警報を無視しないで下さい。……児童の登校などに際して、父兄が2回の警報を新聞ラジオその他にて承認せられ、しかもみすみす子弟を登校せしめて惨禍に遭われた方がないとは限るまい。かくては幾百回の警報を発しても駟(し)もまた及ばぬ如きもの(=取り返しがつかない)」
要は、わずか2回しか警報が出ていなかったための大被害でした。この惨状を教訓に、中央気象台は翌年から「警報」以外に「気象特報」(現在の「注意報」)を発表するようになりました。また測候所の整備も進み、日本の気象事業は飛躍的に発展したのです。
まさに日本の「防災の誕生」でした。
この台風がきっかけとなって防災意識が高まったんですなあ。
やっぱり人間って学習するんですね。
ウチもいざという時の備え、ちゃんとしておかないと。