仕事関連のセミナーに二日連続で参加する事になり、久しぶりの梅田駅周辺。
難波行くのと京都行くのと距離が大して変わらない、という場所が
現在のねぐらであるから故にすっかり梅田には行く事がなくなった最近では
二日連続で梅田に行くなんて事は実に珍しい事になってしまった。
なんか色々と混乱して「あ、ホテル取らねば」みたいな思考が働いたりも。
さて、初日の前半のセミナーが終わり、次のセミナーまで2時間以上の空き時間が。
そこらへんの喫茶店でも入ってぼーっとするかとも考えたけど、
せっかくなのでブラブラと散策する事に。
ただ、選んだ服装が極めて薄着だったためか、ものっそ寒かったので
地下に潜って散策しているとたどり着いたのが大阪駅前第1ビルであった。
この天井の低さ、そして薄汚れた感じ。正直かなり古くなっている。
いったいいつ頃出来た建物なんだろう、と調べてみるとなんと1970年。
しかも自分のブログがヒットするという。
自分より年上だった事に驚いてしまいました。
1970年といえば、大阪万博が開催された年でそれと同時にこのビルが出来て、
新御堂筋が開通したって事になる。
1970年、自分が生まれる1年前の大阪って「世界が変わる」ぐらいの勢いがあったのかな。
この駅前ビル郡(1~4)には中学生ぐらいからよく遊びに来ていた。
ここまで足を伸ばすと、学校の先生も見回りに来なかったので
安心してゲームセンターで遊ぶことが出来たためである(笑)
当時はものすごい数のゲームセンターがあり、ジュースがタダの所を渡り歩いてたし
この中の飲食店でアルバイトをした事もあったが、第1ビルまで来る事があまりなかったな。
今ではたった数軒しかないゲーセンにこんなものまで置いてあったのはびっくりした。
開発元はレジャック。現在のコナミである。
この天井の低さ、そしてこの風景なんか見覚えあるなと思ってたら
今は亡き新大阪センイシティー1号・2号館でした。
そういやあそこも1969年開業って事でやはり万博きっかけみたいなものなのかも。
昔は銭湯や八百屋などが普通にあったこの駅前ビル。
今ではシャッター街になっている所も多いけど、ランチタイムはとても活気があり
まるで昭和の東映劇画のワンシーンを見ているような気分になります。
逆にレトロ感を狙ってお店をやるのならいいのかも知れませんな。
中央郵便局の建物もなくなってしまって、大阪駅の建物も記憶とはかなり変わりました。
これからどんな風に変わっていくんやろねえ。
駅前ビル郡もそろそろ老巧化とかの話も出てるんちゃうやろか。