今年も早いもんであっという間に12月になった気がする。
そして、気温もいきなりの急降下で身体が適応してないような気がしております。
夜中の帰り道に見かける気温計が
1℃ですぜ。先週、ここを通った時はまだ9℃とか表示されてたのにね。
あっという間に季節・時間は過ぎ去ってはるか後ろに流れて行くもんなんですね。
気がつけばもう自分も50才越えてんだもんなあ。
色んな紆余曲折・試行錯誤、そんな事を繰り返してここまで来た感があります。
「思い出したくない事は忘れてしまえる」性格なのが幸いだったのか、まだ明日から先が楽しみでいられるのはラッキーかな、と。
スマートフォンが普及しだしたのがちょうど10年ちょい前、ぐらいですかね。
その頃からアプリやらなんやらで「○年前の今日」みたいなものを垣間見れたりするのも非常に面白かったりします。
毎年、長男の誕生日が終わったらクリスマスツリーを出すんですが、9年前の写真だと子供達がツリーより小さいのが感慨深い(笑)
10年というのは人が一大決心をして、何かを変えようとする期間としても充分な時間でもあります。
中には「そんな事をやってたなんて思い出したくもない」という人もいる事を知っています。
電話番号や住居を変えて、全ての関係を断ち切り、新たな世界でスタートを切った人に対して
「あまりにも急で冷たいじゃないか」と憤慨してるのをたまに見かけますが、自分としてはその人の意志を尊重したい派。
そこまでしなければ未練を断ち切れなかった、という気持ちも痛いほどわかるから。
誰もが胸を張って、自信たっぷりに生きてきたわけじゃないですしね。
そして、切羽詰まった経験をした事がない人はそういう人の気持ちがわからないのは仕方ない。
だからこそ、自分ではない人の過去を話したり、誰もが見える所に本人の許可なしに公開してしまうのはどうかと思うんですわね。
たとえその時にその人がめいっぱい輝いて見えていた、としても。
もしかしたら蒸し返されたくない過去なのかもしれないじゃないですか、その人にとってはね。
ネットには「あの大ヒット曲は実は俺が作った」みたいな、ちょっとイタタな人のWebサイトがあったりします。
たとえそれが、本当にそうだったとしてもそれが一体何だというんでしょうかね。
それを証明できるような手続きをしてないのも落ち度ですし、それをわざわざ他人に今さら無理矢理認めさせて何になるんでしょう。
それを作った、というのもそいつの勝手な想い出であるように、その曲を聴いた経験というのもそれぞれの人の想い出なんだから。
そこに土足でズカズカ踏み込むようなマネは「粋」な大人のやることじゃありませんわ。
どんな人であれ。昔に戻る事なんて絶対に出来ない。
前を向いて生きるしかないんだもの。
今は逢えない、連絡が取れない人との思い出の取り扱いは自分の中だけで愛でるのが一番良いのです。多分ね。