チャック・ベリー師匠が90才で永眠致しました。
死因は自然死という事で、まずは本当にお疲れ様と言いたい気持ちです。
このブログでも以前、傍若無人というテーマで師匠の事を書いた事がありましたが、ニューアルバムを作る予定まであったって事は限りなく現場にいようとしてたのでしょう。
彼の功績はギタリストとしてもあの複音フレーズ、そして様々なリフを考えついただけでもすごいですが、やっぱり「詩人」としての功績の方が今に繋がる音楽シーンには大きいと思います。
あの白人と黒人で聴いてる音楽が違ってた時代に、
黒人でありながら自分で歌詞を書いて曲を作り白人層にアピール出来たって事が
後に続いた人達にとって一番の偉業でした。
ギターを弾いてる人間からすると、どんな曲を弾いても彼がやった事の影響は絶対に出てきますけどね(笑)
それこそ1弦と2弦同時に弾くだけで「それはワシが考えたんだ!ゼニよこせ!」と言われかねないレベルではあります。
でも、もしあのブリティッシュ・インヴェイション時代にビートルズなどのイギリス勢が、彼らの曲を取り上げなかったらと考えたりもします。
マスコミなど大人達が一丸となってロックンロールを締めだした後、1957年-1960年にかけてのいわゆる「ロックンロールの悲劇」(エルヴィス徴兵、チャックベリー逮捕、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、エディ・コクラン死亡など)以降はそれこそ不遇の時代だったはず。
チャック師匠が釈放された1963年にちょうどビートルズがデビューしてるわけですから因縁めいた物を感じずにはいられません。
そして、意外にもアメリカのチャートで1位を取ったのはたった1曲、
1972年の「マイ・ディンガリン」というあまり知られてない曲なんですわね(笑)
しかも自作曲ではないのもご愛敬(オリジナルは1952年、デイヴ・バーソロミュー)
内容もまたお下品ないわゆる「チンコソング」で日本で言えば「金太の大冒険」的な曲。
(素晴らしい訳詞はこちらで)
こんな曲が1位を取ってしまうのがアメリカという国のすごいとこなんだよなあ(笑)
師匠はチャートからの評価というよりは「スタイルの創始」、まさにそれにつきますね。
映画「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」でキース(リチャーズ)に
「おっさん、てめえが死んでも音は永遠に残るんだぜ?だからちゃんとしろよ」と
言われて「ワシが死ぬもんか」って言い返してた師匠もさすがに寿命には勝てず。
空の上でジョン・レノンに「ユー・キャント・キャッチ・ミー」のゼニを請求してそうです。
安らかに!・・・・っていうても無駄やろなあ師匠には(笑)