最近、とみにバタバタしていてそれが急に本格化してきました。
何がって我が家は「引っ越し」という大イベントを控えているのです。
別に遠くの街へラナウェイするわけじゃなくて、今のとこからほんの1km先に移るだけなんですがね。
電話番号も通う学校も変わらず、いわば1丁目から3丁目へ移動しますよ、ってもんで。
さあ、水槽と魚は引っ越し業者にはまかせらんねえな、どうすんべえと思っているわけでございますが。

生活の合間にテレビやネットなどをぼーっと眺めながらメシを食ったりする事があるんですが、今って有名人にやたらと品行方正を求めるんだねえ、というのを感じます。
これも時代の流れっていうんでしょうか。
「今まで大ファンだったのに失望しました。もう二度と曲も聴かないしCDも捨てます」みたいなのを薬物で捕まった大御所歌手の際によく見かけましたが、そう書かれたブログのプロフィールに「好きなアーティストはビートルズです」と書かれてあるのを見ると、おいおいあの人らクスリでラリパッパの最先端を行ってた人らやで、と。
女性関係もそれなりにムチャクチャだったりしたのも案外スルーされてたりするのはどういう事なんでしょう。
今、目の前で起こってる事が全てなのか、それともそれを上回る作品の質が問われるのか、その明確なボーダーラインはどこなのか。

音楽だけではなくマンガの世界でもこれによく似た現象がありまして。
あの「のだめカンタービレ」で一気に大御所に駆け上がった感のある二ノ宮知子センセ。
のだめ連載開始の6年前に出版した「平成よっぱらい研究所」というなんともひどい(褒め言葉)マンガがあるのです。

センセ自らの酒豪エピソードがふんだんに書かれた自伝的エッセイマンガですが、下戸の自分からは考えられないひどさ。
それがまた面白くて連載当時(付き合ってた女性がFEEL YOUNGを講読していたために読めた)から爆笑してたもんです。

不幸なのは先にのだめから二ノ宮センセを知って、この「よっぱらい研究所」にたどり着いた人たち。
あのきれいなストーリーがまさかこんな酔っ払いから出てくるとは想像も出来なかったんでしょうか。
「こんな人だとは思いませんでした。もうこの人の(以下r」が連発です。

違うんだって。こんな人だからあれを描けたのよ、と自分は思うんですがどうなんでしょ。
生み出される作品世界と作者のプライベートはあくまで別物。
時代をもっと遡ってみても、巨匠と言われる文豪たちも正直クズばっかりです。
石川啄木とかこの令和の時代に生きてたらアンジャッシュ渡部を軽く超えていくんじゃなかろうか。

マンガにしても最近は「ただの妄想。リアリティがない」とか「所詮は男性(女性)目線にしかすぎない」などなど、まあみんな頭が固いこと。
マンガなんてそもそも架空の世界ですやんか。
その世界を楽しむだけの余裕、ってのが失われてしまったのであればギスギスしてて嫌だねえと思います。
やっぱやさしい世界じゃなきゃね。

やさしい世界、といえば最近読んだマンガで「ちひろさん」という作品がとても心地よい世界でした。

ドラマ化された「ショムニ」を描いた安田弘之センセの作品です。
元風俗嬢の主人公がある街にふらりと現れてお弁当屋さんの看板娘になり、その街の人達との交流が描かれています。
なんとなく居場所がないな、とか世界がやさしくないなと感じる人であれば面白いマンガやと思います。
あちこちのサイトで無料お試し読みが出来るのでぜひ。