娘のコロナ陽性判明から5日後に自分が陽性判明。
結果、自分は15日間も家の中にずっといた事になる。
幸い、重症化する者は誰もいなく、狭心症の経験がある自分が一番重症化リスクを背負っていたが何事もなく全員が解放された。

久しぶりに愛車に乗ってキーを回してみると、セルの回転が鈍くて焦る。
バッテリーの充電を兼ねてちょいと車を走らせる事にした。

だいぶ前に「銭湯に行こう」とカバンにタオルを放り込んで車に積んだままにしてたのを思い出す。
そうだ、風呂屋行ってサウナでめいっぱい汗をかこうかと地元のスーパー銭湯に。
そこでゆっくりと鋭気を養ってから、昼食の時間になったのでラーメン屋へ。

ここはもう自分の中の定番を食べよう、と(笑)

ひさびさの味玉肉そば。身体にしみる美味しさでした。

食べながら色々と考える。
15日間どこにも行けないという不自由の中、今回のコロナ陽性・自宅療養者への支援は比較的良好だったんじゃないかと思う。
コロナ禍になって2年間。
過敏になりすぎないように手洗いとうがい、マスクはそれなりに守ってきたつもり。
ワクチンも一応2回打っといたしね。
世の中にはマスク1つで飛行機を止めるような大人がいてますが、ああいうのは「自分のスタイルを貫いてる」とは思えない。
イヤイヤ期の3歳児じゃあるまいし、大人が我を通す場所はそんな所であるはずがない。

さすがに学校経由で感染して家に帰ってこられちゃ、どうしようもない(笑)
過去、インフルエンザが我が家で猛威をふるった時、自分だけ最後まで生き残ったのを今回も再現したかったけどねえ。
それはやっぱりオミクロンの感染力って事なのかね。
ま、全員が元気になったって事で全てはオールオッケイかな、と。

コロナにかかる前、そしてかかった後ではやっぱり世の中の見え方が変わる。
20時過ぎてるのに携帯電話でこちらの状況を聞いてくれた保健所の人達。
どう見てもおじいちゃんな先生が寒さの中、野外の駐車場でやってくれたPCR検査。
15日間に及ぶ自宅幽閉の為に、勤務のスケジュールを調整して代わりに勤務してくれた人達。
「もし困ってるなら直接僕が物資を持って行きますよ!」と電話をくれた得意先の社長。
大丈夫か?と連絡をくれた友人達。
色んな人達の優しさをこの身に受けて、なんとかこの世界で生きている事をかみしめる事が出来た。

そんな優しい人達にもしかしたら重症化リスクを背負った家族がいるかもしれない。
そして、自分より年下の人間がコロナで入院してご飯も食べれない状況なのも知る。
自分の思い込みだけを信じ、自分の見たい世界だけ見てるときっとそんな事は見えないままだろう。
そんな風に思考を巡らせると、やっぱりそこで我を通す場所を間違えてはいけないと強く思うわけです。
プライドを使う場所はきっと他にある。

ラーメンを食べ終わってマスクをしてレジに向かった。
アルコールで手を消毒して外に出る。
3回目のワクチン接種券はいつ来るのかな、と思いながら車を走らせた。

好きな事をして好きな物を食べ、そして好きなように移動できる幸せ。
それらが全て奪われてる人達が今、アフガニスタンの空の下にいるのもこの世界のリアルなんだよなあ。

てなわけで、コロナ陽性による幽閉の記録。これでおしまいっと。