世の中には色んな人がいるなんてえのは当たり前の事でありますが
集まって何かをしよう、って時のお話になるとこれが色々な想いが入り乱れるもんで。

与えられた役割に対しての責任感、という物をどのぐらいで捉えるか。
与えられた事だけをこなす人、プラスアルファの物を見つけてやってくる人、
そして与えられた事すらやってこない人。
これまた様々な人がいるもんで。

さて、ここからは想像力のお話。
全員が同じ方向を見る、というのはどういう事かと言うと
この最低ラインのレベルがきっちり揃っているというのが個人的には理想で
もちろん、そのレベルに自分を常に持ち上げておきたいのは当然の事でして。

メシを食おう、さあ何を食う?という目的があった時に
「中華がいいです。」と述べる人、
「中華も良いですが、ちょっとこういう店ありまっせ。和食ですけど予算もばっちり」
と述べる人、
「えー、オレは脂っこいもんはパス」と食べたくない物しか述べない人。

紆余曲折あった後に「いいじゃん。結局飯食えたんだしー」という
結果オーライバリバリな意見で一致した場合、
自分がもしこの会の幹事なら、次回からは食べたくない物しか述べない人は呼ばない。
そういう人に「それは良くない事だからね」なんて諭す事もしたくない。
だってね、めんどくさいもん。子供じゃあるまいし。
それなら「オレはこれが食いたいんだ!」って人間だけで集まればいいんじゃね、と
しか思えないわけです。
そもそも、こういう考えの人間が幹事やっちゃいけないのかも知れませんが。

たった一人のネガティブのせいで他のアクティブの気持ちがそがれる場合、
そのネガティブに気を使うぐらいなら、他のアクティブに気を使いたいですな。
その為には喜んで悪者にもなりましょう。
それが自分なりの気分良い組織の理想。
責任感と緊張感のバランスが崩れてるような所で成長なんぞ望める訳がござんせん。

昇ってこようとしないカンダタに蜘蛛の糸をわざわざ垂らして
「昇ってこなきゃだめだよー」なんて声をかけてやるほどの
ホトケや菩薩には多分一生なれそうもありませぬ。

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

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芥川 龍之介
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