長女7歳、長男11月で5歳。
我が家にも世間と同じく平等に時が流れております。
この数字となると「七五三」という物に該当するって事で衣装着てお参りに行ってきました。
ま、今は衣装はレンタルって物がありましてですね。
本人達が「これ!」って決めた物を着れるのが一番良いのかな、と思ったり。
風習の継承、という意味ではアカンのかも知れませんが、そもそも自分が七五三をやった記憶が皆目ないのでこの辺はモゴモゴとしておこうかなと(笑)
残念ながら天気はどしゃ降りでした。
祈祷などはしてもらわずに神社に出向いてご報告&お参り。
七五三のWikipediaを改めて覗いてみると・・・・
神社などで「七五三詣で」を行いご報告、感謝、祈願を行う奉告祭。
おうおう、じゃあ形はちゃんと守ってるね(自己弁護
そもそもこれってどっから始まった行事なんだろうかとじっくり見てみると、元々は関東地方の地方風俗だったようで。
天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力である。
11月15日は、子供の成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁による)。現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。
やがてこの儀は京都、大阪でも行われるようになり、だんだんと全国に広まっていった。
で、七五三というネーミングも元々は3つ違う行事をそれぞれ行うのをまとめて呼んだのがそのまま定着したとか。
現在は「七五三」という名称から、その年齢にやる同じ行事のように捕らえられ、そうなりつつあるが、実際には、それぞれの年齢で行う、別々の異なった行事であり、3つの子供の行事を、「七五三」と呼んだため、本来の神事の内容が薄れ、同じ行事のように思われている。そのため、現在でも地方によって年齢や祝う内容が異なる。
なるほどねえ。節分の恵方巻き的な香りも存分にするなあ。
もちろん千歳飴も関東由来のお菓子、って事でした。
そんな背景はともかくとしてチビ達は和装を心から楽しんでおりました。
二人とも特にセットしてもらった髪型がお気に入りだったようで、長男は「ワックス」という物を知って「あたまにぬって!」と連呼しておりますが、いやさすがにね保育園に行くのにそれはw
こうして子供達の写真を何気なく撮影してると、たまにびっくりする時があります。
「写真撮るよー」って声かけた時にする顔が変顔としか言い様がないので、こうして何気ない瞬間にバースト撮影するのが昔からのやり方なのです。
ま、もう少しすると写真自体も撮らせてくれなくなるんでしょうけどね(笑)
この行事そのものの由来に乗っかると、男の子は7歳の時は七五三は該当しないので、今回で我が家は七五三は終わり。
次は孫の時、って事ですがその時まで生きながらえているかは神のみぞ知るってこってすわね。