11月に久しぶりにダブルキングカフェ姫路でのイベントに出演する事が決まり、その日のメンバーは初めて一緒に演奏する人や、それこそもう15年ぶりぐらいの人がいたり。

その日に共演するはずだったキーボーディストの訃報がいきなり飛び込んで来た。
自分より年下の音楽仲間なだけににわかには信じられなかったのだけど、SNSを見るとどうやら本当らしい。

思えば京都ケントスのレギュラーバンド、イエロー・ジャケッツに初めてトラで行った時に会ったのが最初。
あれがもう20年以上前、になるんかな・・・
その後、ダブルキングカフェ京都の立ち上げに伴ってよく一緒に演奏するようになった。
キーボードの腕前や歌声も素晴らしかったけど、演奏メンバー向けに小ネタを仕込んだり色々と楽しませてくれたのが一番覚えてます。
ダブルキングカフェ京都が閉店してからは一緒に演奏する機会がなくなってしまったのだけど、今回の11月のイベントで久々に会えるはずだったのに・・・

その日、8/21の夜は「GEKOとピアノ Act.9」at ジョニーエンジェル京都。
相方Shinさんもダブルキングカフェ京都のレギュラーバンドで彼と一緒だったので「信じられんね・・」というお話に。

会った事もないような大先輩や、数回ご一緒した年上の音楽関連の人が亡くなった経験は何度かあった。
しかし、けっこうな時間を共にした年下の音楽仲間が亡くなる、という経験は初めて。
気持ちの持っていき様をどうコントロールしていいかがわからない、のが本音だ。
この日、何を演奏しててもその曲の歌詞が彼と話した事や演奏した想い出とかとリンクしてしまってどうしようもなかった。

後日、彼の死因が心不全と知った時に自分にも降りかかったあの日の事を思い出す。

生還 ― 急性心筋梗塞で救急車搬送→再度カテーテルステント設置手術(3年ぶり)

あの時あのまま我慢して本番を強行してたら、自分も間違いなくこの世にいなかったろうと思う。
2回目だったからその判断が出来たのかもやけど、あんな急に自分に死の影が忍び寄ってくるなんて誰も思わないもの。
きっと亡くなった本人が一番びっくりしてるかもしれない。

齢50を越えて、今こうして生きていれるのは本当に「運」なのかもしれません。
そして、確実に身体は死に向かっている、という事も事実。
もう少しこの世界で生きようとするのであれば、色んな事の自制が本当に必要なんだな、と思います。

調くん、11月に久々に会えて一緒に演奏出来るはずやったのにとてもとても残念です。
安らかに。