あの震災・津波から2週間経って混沌としたままの日本。
つけっぱなしのテレビ。
震災の様子を見る度に胸が痛み
被災された方のインタビューを見る度に悲しみの感情があふれ
原発の状況を見る度に気分は落ち込む。
首都である東京周辺の機能は麻痺して
人々は色んなものを買い占めに走る。
普段は「なんとかなるやろー」という考えのワシですら
なんとなくどんよりとした気分になる。
フリーランスで一人部屋にこもって仕事をしてる同業者が
ニュースを見続けてPTSDになってしまったという事を聞いた。
どう考えても前向きになれない未曾有の状況。
テレビを消す。
色んな事を考えてみたりする。
でも結局思考はおんなじ所をグルグルと回っている。
こうして普通に生き残れた事を感謝しながら
亡くなった人には祈りを捧げながら
こうなってしまった現状を受け入れて前に進むしかないんだろう。
感情的にならず、冷静さを保ち、この経験を学習して
溢れかえる情報を取得選択しながら前に進むしかないんだろう。
あの日を境に
津波に対してなめてかかる人はいなくなるだろうし
エネルギーに対しても無関心なわけにはいかなくなるだろうし
自衛隊の事を悪く言う人だっていなくなるはず。
僕は無宗教だし無神論者ではあるけど
「どうして今回は生かされたのだろう」という事をなぜか考えてしまう。
たぶんそれは「見届ける義務」なのだ。
ここからどうやってこの国が立ち直っていくのかを。
荒廃した戦後から数十年遅れて、
この世に生まれてきた自分へ課せられた使命なのだと。
そこで「じゃあお前は何ができんのや?」と問いかけてみても
生きている人間が出来る事は今いるフィールドで一生懸命に生きる事なんだろうなあ、
という考えにたどり着いてしまう。
テレビの前で無邪気におもちゃを振り回している娘は
もちろん今回何が起こったかなんて知るよしもない。
この経験を糧にした全ての知恵を彼女に伝える義務が僕にはある。
いつの日にか、いつの日にか、
この混沌から解放されてでっかい声で笑える日が来る事を伝え続けたい。
犠牲になった方々には本当にお悔やみを申し上げます。