ハナモゲラボ / 試行錯誤の実験人生

日々、PCや各種デバイス、楽器等に翻弄されながら電脳の森をさまよう男の日常と様々な実験をさらりと記しております。

誰に対して誠実であるべきなのか - 集団的自衛権

July 01 2014

本日、政府は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をしました。
ずっと前から色々限界が来ていた物を正すための第一歩がようやく踏み出された感じがする。

僕自身は集団的自衛権の行使は賛成の立場を昔から表明していました。
色んな事は実際にその時にならないとわからない事も多いだろうけども
「その時」がもし来たとなるとすでにどうしようもない気もする。

平和憲法と言われる日本国憲法が制定されたのは1946(昭和21)年。
その時は理想的な実験モデルとしての意味合いもあったとは思うけども
わずかその4年後に始まった朝鮮戦争ですでに形骸化しつつあった。

サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約の締結と共に
警察予備隊が創設され、それが自衛隊になった時にはすでに無理が出てきた。
日本国憲法は解釈についても色んなパターンがあって「戦争」という定義だけでも
「全ての戦闘行為が戦争」と「自衛の為の戦闘は別」というものがある。

なので「自衛隊は自衛の為なので軍隊ではない」という解釈も成り立ってしまうわけだけども
あれだけの組織を「軍隊ではない」と胸を張って言うのはなかなか難しいし
それを聞いた世界の人々はどう思うんだろうか。

あの敗戦から70年近く平和でいれたのは憲法9条のおかげ、なんて事を
本気で思っている人がいるのだろうけども、
その為に何人の人達が血を流しているのかを僕は考えてしまうのだ。

駐留しているアメリカ軍も自衛隊も日々、そして日夜過酷な訓練を行っている。
それは「何かあった時のために」を仮定してるわけだけど
その訓練でも命を落とした人がいる事を僕は忘れたくない。
そんな人達の頑張りがあるからこそ、僕たちはこうして暮らせるわけで。

友達と二人で歩いていて、仮にケンカを売られたとする。
友達はボコボコに殴られているのだけども、決まり事の為に手を出せない上に
「ごめん。その代わり治療費とあとで飯おごるからここは一人で頑張って」なんて事を
言ったとしたらその友達は呆れかえるだろう。

「自分のハンカチだけは汚さずに白いままでいたい」なんて事を
世界に向けて発信しながらずっとやっていくにはもう無理が来ている気がする。

せめて殴られてる友達に包帯を巻いてやるぐらいは出来た方がいい。
「戦争当事者になってしまう」なんて事を言う人がいるけども
殴りかかられた時点ですでにもう当事者になるんだから、すでにそんな事を言っても遅い。

「イマジン」で歌われるユートピアは良いことばかりが溢れている。
でも、僕は想像してごらんと問いかけられたら同時に悪い方も考えてしまう。

攻め込んでくる兵士に自分の愛する人達が次々と蹂躙されていくのを見ながら
笑顔で「ラブアンドピース」なんて言ってる自分を僕は想像出来ない。
恐らく絶叫しながらそいつの目をくりぬこうとするし耳を引きちぎろうとするだろう。
そして、僕たちが生きている世界のどこかではそんな光景が今日も繰り広げられている。

お花畑で暮らす幻想は結局誰かを傷つけてしまうだけ。
一人で戦えない事情があるのならば、協力してくれる誰かに対して誠実であるべきだ。
たとえその誰かが気まぐれ野郎だったとしても。
それが僕たちが生きているこの現実なんだから。

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