1969年といえば自分に取って様々なキーワードによって「憧れの時代」となっています。
大滝詠一「1969年のドラッグレース」村上龍「69-SixtyNine」ブライアン・アダムス「Summer of ’69」などなど。
自分が産まれる2年前。
ビートルズで言えば最後の録音作品「アビイ・ロード」が世に出た年。
子供の頃、ビートルズを聴いたのをきっかけに、自分の産まれる前の音楽を遡っていく事を覚えました。
それが今の演奏内容に繋がっているのは間違いありません。

しかし、音は残された音源によって聴く事は出来ても、当時の空気まで感じるのはなかなか難しい。
楽曲の発表年はほぼ「西暦」で頭に入っているせいか、1969年と昭和44年が微妙にリンクしない。
当時の映像が残されていたとしても、それはほとんどが色あせており、FullHDや4Kに慣れすぎた自分には所詮「昔の映像」だったり。
Youtubeでよく「○○○○年の風景」のリマスターがアップされてたりしますが、ああいうのは飽きることなく見てしまいます(笑)

今回、たまたまAmazon Prime Videoでおすすめに出てきたのは
「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」という映画。
昨年3月に公開されたばかりの作品の様子。予告編はこちら。

自分は三島由紀夫に関しては、1970年の「三島事件(市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺)」の人、ぐらいの認識しかない。
彼の作品は「金閣寺」が本棚にありますが、これも30年ぐらい前に読んでみようと思って挫折したままだ。

1969年5月13日は三島が東大全共闘1000人を前に討論会を行った日。
この4ヶ月前にはあの東大安田講堂事件が起きている。
安田講堂事件に関しては警察側の指揮を執っていた佐々敦之氏の「東大落城 安田講堂攻防七十二時間」を読んでいたので、ある程度の知識は頭に入っています。
が、佐々氏の著作はなんというか「俺様カッコイイ」的な文体のものが多く、敵側の事がほぼ「記号」としての認識で書いてあるので、片側の事情だけ読んでも非常にわかりにくい所があるんですわね。

あの安田講堂事件から4ヶ月後、いわば熱冷めやらぬ時のこの討論会。
この時、三島は44歳。終戦時に20歳だった三島は東京帝大生だった。
なので自分の息子ぐらいの年齢の後輩、1000人を相手にして単身乗り込むのは相当勇気がいったはず。
TBSだけが単独取材を許されてたそうですが、このフィルムがなんとまるまる見つかってそれをレストアして使用していると。

こういうのに弱いやん・・・・見てまうやん・・・・・

この映画、特筆すべきなのはこの1969年の映像の中に登場する全共闘メンバー、楯の会(三島の私設軍隊的集団)メンバー、TBS記者が50年後に再びインタビューを受けている事。
あの学生運動の時代を生きた人は、あまり当時の事を喋らない、それこそ「なかった事」にしてるような人が多いので、これはとても興味深く見る事が出来ました。

しかし、討論会に出てくる大学生の言動、正直何を言うてるのかさっぱりわかりません
これは自分に学がないせいでもあるのですが、あんな難しい事を考えて当時はみんな生きていたんだろうかと疑問に思います。
この討論会から約2年後に浅間山荘事件を起こした犯人の獄中手記を読んでも全く同じ様な感想でしたね。

最も1960年代後半は大学への進学率は10%って事なので、全体から見た1割の人って事になるのか。
自分から見たら完全に「別世界の人」という感想しか持てませんでした。
というか当時同じ年齢だったとしても「何をわけわからん事ゴチャゴチャ言うとんねん、しばくぞ」っていうリアクションしか取れないかも(笑)

そのわけわからん事をべらべら喋る自分の子供ぐらいの学生に対して、44歳の三島が怒る事もなくエラそうにする事もなく、時折ジョークも入れながら真摯に対応していたのがとても印象的でした。
特に芥正彦(全共闘メンバー:現在作家・俳優)との討論場面がめちゃめちゃスリリング。

この討論会から1年半後、三島は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で同じ様な年齢の自衛隊員から罵詈雑言を浴びるわけですが、もしかしたらこの討論会の時点で「世代の壁」を感じていたのではないのだろうか、と思います。

学生運動全体もこの後、浅間山荘事件から山岳ベース事件を経て、内ゲバばっかりしている姿に急速に世間からそっぽを向かれ、1972年の沖縄返還で「反米」という矛先もぼやけてしまったと聞きます。
僕個人の感想としては、学生運動というよりは「ただの自己表現の手段」の集合体だったのではないか、としか思えないのですが、当時真面目に活動されていた人からは「失礼な!」と怒られるのかもしれませんね。

2021年の現代でも細々と学生運動の組織は活動している様子です。
ま、大学という所のシステムすらよう知らん自分にとっては、霧の中の少女みたいなもんでわかりにくい部分ではあります。

三島由紀夫に触れた今、日本で未公開のままになっている1985年の日米合作「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ」を見てみたい。
これは三島夫人の反対、そして右翼団体の抗議により日本では未発表になったままなのだそうです。
製作総指揮はなんとフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス、監督は「タクシー・ドライバー」の脚本のポール・シュレイダー、ナレーションは「ジョーズ」のロイ・シャイダーというものすごいメンツ!

今日は1969年のビルボードヒットを聞いて過ごしましょうかね。
ワクチン1回目、ようやく行ってきましたがみんなが言うように左腕があがりません(笑)
幸い、ギター弾くのには支障ありませんが。