朝から様々な雑用に追われた日曜日。
提出物を作成、そして色んな物の受け取りやちょっとした修理・整理などなど今日終わらせてしまわないとエラい事になりかねんという日。

朝から天気はあまり良くなく、子供らも家でくすぶってる感満載。
ここ数年は週末の夜は仕事で家にいないので、一緒に遊んだりなどのコミュニケーションがあまり取れてないのが気がかり。
なんぞ学校で困った事になってないか、などなど色んな話をしながら一緒に昼食を取った。
幸い深刻な状況ではないようやけど、友達づきあいの難しさもチラホラ出始めてるみたいで、それなりに成長してんやなあと感慨深い。
自分が中学生の頃って何を考えてたんかな、みたいな事をぼんやりと思い返す事が最近増えた。
1983年、か。
あ、ファミコンが発売された年だわ。
アホみたいに閉じこもってゲームしてた、って事を思い出すと、子供らにあんまり強く言えねえな・・・

昼からは二人とも遊び相手の目処が付いたようで元気に出かけていきよりました。
そこからは部屋に籠もって、一生懸命譜面の作成を。
ようやく一段落付いたのが16時前後。
ああ、これで一安心、と何気なくYoutubeのオススメ動画を見るとずっと見たかったNHKの番組がありました。

それは1979年2月26日に放送されたNHK特集「戒厳指令”交信ヲ傍受セヨ”-二・二六事件秘録-」

226事件に関しては20代の頃から様々な書物を読んでいたのでこの番組の存在は知ってましたが、今まで見た事ありませんでした。
事件当時、あの一帯の電話は傍受されており、その音声データがアーカイブとして残ってるなんて。

この番組が制作されたのは226事件から43年後。
52才の自分の43年前って9才前後なわけですから、色々と覚えていますもんね。
興味深く番組を見始めると、栗原中尉と西田税の奥様との電話からスタート。
初めて聴く栗原中尉の肉声に心躍る物がありましたが、何よりこの番組の制作当時は事件の当事者がご存命なのが生々しい。

安藤大尉の肉声、そして次々に登場する関係者の姿に画面から目が離せませんでした。
何より、幸楽に駐留してた安藤隊の上村軍曹と原隊に帰ってこいと説得する高橋中尉のやりとりが当時の緊迫感を一番物語っている感がありました。
その後、高橋中尉は昭和18年に戦死。
上村軍曹は戦後、鹿児島県にて不動産業を営んだというそれぞれが歩んだ歴史の凄まじさも皮肉なものです。
この番組に登場する方達はあの戦後を何を思って生き抜いて来たのか、という事を考えると今の自分には到底想像も出来ない想いがあったんやろなあと。

226事件しかり、連合赤軍しかり自分は「若者の暴走」が引き起こした事件に惹かれる傾向があるように思います。
どちらの事件も20代~30代の人達が中心となったわけですが、きっと自分がその頃いかになんも考えてなかったかの反動なのではないかなと。
世界で何が起こってるかなんぞには何の興味もなくて、ただ自分の好きな事やその世界しか見てなかったよなあと。

その若さを通り過ぎた後に残る結果が、おぼろげに見えるようになった50代の今だからこそ少しだけ理解出来るのかもしれませんね。

この番組の最後に登場した鈴木貞一氏は当時90才!
しっかりとした歩き方と口調、そしてダンディなファッションには驚きました。
映画「東京裁判」でもその姿を拝見してましたが、なんと鈴木氏は100歳でこの世を去ったそうです。

そう考えると自分もまだ半分か・・・と。
まだまだ学ぶことは多いし頑張れるよね、と襟を正さなきゃならない気持ちになりました。