押し入れにあるアルバムに数枚の写真が貼られている。
その写真には合計4人の登場人物。
一人は僕、そして最近また一緒にバンド活動を始めた友人。
残りの二人は僕たちが当時交際していた彼女達。
写真には日付は入っていないけど、着ている服、髪型などから想像されるのは
恐らく1989年前後、場所は神戸。
まだ高校生だった頃の4人が写っている。
今日は姫路で演奏する仕事があったのだけれども、
そこでこの写真の登場人物の4分の3が24年ぶりに集まった。
当時の友人の彼女が友達を連れて我々のライブを見に来てくれたのである。
僕自身は彼女とは24年ぶりの再会となった。
気の遠くなるような時間が流れての再会ではあったけども
当時の面影を残した姿や喋る声などであっという間に時の空白が埋まった。
お互いの近況報告、そして「あの写真まだ持ってるよ」という話題から
必然的に話題はここにいないもう一人の存在へと向かう。
僕にとっては最初の恋愛であり、最初の同棲経験でもあり、最初の破局だった。
多感なティーンネイジャーの頃に恐ろしい早さで全てを経験したかのような日々。
現在における女性観、恋愛観などの核を形成したであろうその彼女とは
もう今や連絡をとる術すらないし、どこで何をしているのかも知らない。
今から10年ほど前、なんとなく「この指とまれ」というWeb同窓会サイトに登録した際、
偶然にも彼女の名前が自分の名前の下に表示された。
その時に彼女からメールが届いて、一度やりとりをした事があるのだけれども
実際に会うまでは至らなかった経緯はある。
その際に名字が変わった事、そしてお子さんがいるという事を聞いてはいる。
「会いたいと思う?」という問いになんとなく「うん」とは頷いたものの
今更僕なんぞが出て行った所で迷惑ではないだろうか、という気持ちの方が大きい。
人間、時を重ねるといい事ばかり覚えている人、そして悪い事をずっと引きずる人に分かれる。
僕は幸いにも前者の傾向が強いせいか、色んな辛い事もあったような気もするけど
今となっては楽しかった事しか覚えていないし、
辛い事を覚えていたとしても、それを笑い話に昇華させて人に話す事が出来る。
「あの時ああすれば」という事を後からいくらでも理由付けするのは確かに可能だけれども
所詮、なるべくしてそうなったというのが今の正直な気持ちだったりする。
ぼんやりと思い出せる各場面にそれぞれ分岐点は存在してたけども、
誰かに選ばされたわけではなく、全て自分で選んできた結果が現在に繋がっていると今は思える。
思い出す事の出来る場面をつなぎ合わせて、冷静に思考を巡らせても
彼女からは色んな感情を教わったなあ、という答えを導き出すことしか出来ない。
全ての男性は女性から生まれ落ちる大前提において、所詮男はいつも女に育てられる存在だ。
自分から働きかける事は恐らくないだろうけど、仮にもしこんな機会があって
また彼女に会うことがあったとしたら、
「あの頃よりはちょっとはマシになったと思うよ」という言葉をまず伝えたいなあ、と思う。