ショッピングモールのゲームコーナーにて。
チビらが「プリキュア まほうのパーティー」で遊んでる最中、
その近くにあるパチスロ機「北斗の拳」の前に座る。
恥ずかしながら、パチスロ機って今まで一回も遊んだ事がないのです。
なんとなく100円玉を放り込んでみて遊んでみることにした。
よくわからんまま触ってたのだけど、レバーを倒すとリールが回って
正面の3つのボタンで止めるんだな、という事は理解。
・・・・・・・・全然7が揃わん。
リプレイってやつとベルはけっこう揃うのだけども。
目を細めてみたり、長い絵柄の奴を基準に膝トントンしてカウント取るも
全然揃わん上にだんだん目が痛くなってきた。
上の画面でなんかイベント始まってて真ん中→右→左と押せ、などと指示が出たり
なんていうんだろう、どれに神経を集中させていいかわからない。
5分もしない内に撤退。
メダルが60枚ぐらい貯まってたので、それに変換しておいた。
恐らくこれにハマるような事はない気がするなあ。
パチンコ玉を目で追ってる方がテンションあがる気がしますもの。
そのパチンコ玉を追う、って事自体がもう25年以上やっておりませんが。
回想 – 1986あたり
さて、ここからはちょっと昔のお話になります。
パチンコをやってた時期、主流だったのはハネモノ(飛行機台)と呼ばれる機種で
覚えているだけでもビッグシューター、スーパーブラザーズ、マジックカーペット、
スペース・キャノンあたりがパチンコ店にあった頃です。
調べてみるとビッグシューター(平和工業)の発売は1986年。
・・・・・・当時僕は15歳、って事になりますね・・・・・
マジックカーペット(SANKYO)は1988年発売。
・・・・・・・当時、僕は17歳。
高校生の分際でパチンコやってたって事になりますね(テヘ
とはいえ、チャッカー周りの釘を見るだけで結構遊べたし勝てた気が。
飛行機台終了させて、景品交換した分から3000円だけ一発台に挑むという
そんな自分ルールを設けて遊んでいた気がします。
一発台はビッグウェーブ(SANKYO)のみ遊んでました。
この動画、始まってすぐに入賞して右中央のチューリップが開いてるんですが
すぐに左側から再度玉が入り、チューリップが閉じてしまっています(笑)
本来、一度でも入賞し右側のチューリップが開けば右打ちしてるだけで
ずっと終了まで打ち続ける事が出来る、という一発台。
とは言え、今主流であるスロットが中央にあるパチンコ台(俗に言うフィーバー機)
にはなぜか熱くなれずに飛行機台が店から減っていったと同時に
パチンコも面白くなくなって行かなくなりました。
玉を目で追うあのテンションがおもろかったんですね。
Vゾーンに入るか否か、のあのドキドキ感が。
単体でこのサウンドを聞いても、まだ耳が覚えてるぐらいには通ってたみたいです(笑)