元々の予定は和歌山に向かって友ヶ島の要塞跡を見てから美味い魚を食うはずだったんですが、長男が喘息気味で断念。
とはいえ、ずーっと家におるってのもなあ・・・・と思って近場の京都へ行ってみないかと提案。
長女はここ最近、廃墟や寺などを見て感動出来るぐらいの感受性が育ってきたものの、6年生の長男にそれを望むのは・・・ねえ。
「えー・・・・寺見て何が面白いん・・・」というテンションの低さ。
それこそ滑り台やトランポリンでもないと興味がわかない様子。
「家でゲームしとくからみんなで行ってきたら」と渋る長男を半ば拉致同然に車に押し込み京都へ。
南禅寺に近づくにつれ、思い出したのが自分と子供らだけで平安神宮~京都動物園に行った事でした。
あれからもう8年も経つのか・・・・・そりゃ子供らも大きくなるわなあと。
長女はこの8年前の京都訪問を何となく覚えてるけども、長男は全然覚えてないらしい。
6歳と4歳、なら覚えてへんかもやなあ。。
平安神宮近くのコインパーキングに車を駐めて、まずは南禅寺へ向かう。
紅葉もさすがにピーク過ぎてるやろ、と思ってたら意外に綺麗でとても得した気分。
なんやかんやとブータレてた長男も、歩いてるうちに機嫌がなおってきたようで楽しく散歩するように。
南禅寺から疎水脇を抜けて蹴上インクラインへ歩く。
あのトンネルの向こうに琵琶湖が・・・・何ともロマンを感じる話やないですか。
今まで知らなかったんですが、ここから歩いて大文字山山頂へ抜ける登山道がある事を知る。
標高465mだと初心者でも登れそうなんで、いっぺんチャレンジしてみるのも良いかもだ。
再び疎水沿いから南禅寺へ戻り、そのまま哲学の道へ。
車に戻って銀閣寺、という案も出ましたがそこに道があるなら歩いてみようじゃないか、と。
ここを歩くのは初めてでしたが、いい感じの風景で散歩も楽し。
元々は明治23年に琵琶湖疎水が完成した時に同時に作られた管理用道路だったとか。
哲学の道、という名前が付いたのが昭和47年。ほぼ自分と変わらない年齢ちゅう事か。
その哲学の道沿いになんともシブい建物を発見。その名も「銀閣寺荘」。
この廃墟寸前にまで朽ちた感がもはや貫禄とも言える佇まい。
まさに「ヴィンテージ」と呼ぶにふさわしい。
帰ってから調べてみたら竣工が昭和43年(1968)というから納得である。
建物内部の様子はサイト「物件ファン」さんの記事に掲載されてるが、隠れ家には最高のロケーションやないですか。
銀閣寺の参道まで来た所で急に大雨が。
全員お腹空いてたのでコロッケやおにぎりなどを買い食いタイム。
写真は「御米司ふみや」さん(インスタ)で食べたおにぎりと味噌汁のセット。
急な雨に濡れた後の白味噌仕立ての味噌汁が身体に沁みました・・・(笑)
雨が少し弱くなったタイミングで銀閣寺内に突入。
長女も長男もさすがに授業で習ったらしく、銀閣寺は「写真で見たことある!」とテンション上がってました。
たいてい教科書なんぞに載ってるのはこの建物だけなので、こぢんまりした印象を持ちがちな銀閣寺。
実際に行ってみるともっと大きな空間で移動してどこを眺めても絵になるようになっています。
特に向月台と銀沙灘の砂盛りは近くで見ると圧巻。
今風に言うなら「空間プロデュース」とでも言うんですかね。
月灯りを反射させるために作られたと言われるこの砂盛り。
満月の夜に見てみたいもんだなあ・・・・しかし銀閣寺は夜間拝観はやってないとの事でした。
銀閣寺を出ようか、という辺りでまたもや強くなってくる雨。
こりゃ家族全員で車に戻るよりも、自分が傘を買って車を取りに行く方が良いと判断。
時間は午後3時過ぎ。うん、家に帰ったら夕方過ぎ。今日はこの辺で帰りましょう。
子供達は「どうせならこのまま金閣寺も!」というテンションでしたが、それはまた後日にしましょう。
こういう寺散歩を長男がそれなりに楽しんでくれた、というのが本日の最大の収穫かもしれません(笑)
たぶん子供達とこうして出かけれるのもあと数年ちょい。
また今度、と予定を流してしまわぬよう、どんどん隙間を見つけて出かけるようにしないとあきませんね。