大雪に見舞われた東京都都知事選挙は過去3番目の低さとなる46.14%の投票率で終了。
大阪住みの自分としては直接的になんも関係のなかった選挙ですけども
とりあえず結果ぐらい目を通しておけばいいか、と色んな記事を拾い読みしてみる。

今回は原発をどうすんのかという事が大きな争点となってたようですが
現在、いやそれどころか建設計画すらなかった東京での都知事選で何でそれが
一番大きな争点になんのかがあまり理解が出来ませんでした。
「とりあえず今一番わかりやすい問題」を前面に持ってきて、
それを選挙に利用しただけにしか見えなかったのが私感。

脱原発派も候補を一本化すればまだ結果は分かりやすかったのかも知れませんが
ああいう「自分達の見たい物だけしか見ない」バランス感覚の人達の集まりでは
なかなかそういう動きも難しいんだろうな、という事も浮き彫りになった気が。
「民主主義はこれで死んだ」なんて言葉も昔から散々繰り返されてきた言葉であり
世の中がおかしい時ほど感情的になっては負け、という事をあの人達は
身にしみて「総括」してきたはずなのになあ、と少し白けてしまいました。

僕にとって政治、そして選挙などで今まで一番わかりやすかった事といえば
なんと言っても民主党政権に移ってからの右往左往感でしたが
あれは逆に「所詮誰がやっても一緒やん」というイメージを強烈に植え付けた気がします。
そんな世界で世の中を嘆いて過ごした所で、少しも建設的ではない事が
この年になって徐々にわかってきたのも事実だったりする。

正直、世の中を変えようなんて事を大上段で振りかざすよりは
いかに折り合いをつけて楽しく生きるか、という事に興味があるのは今も昔も変わらない。
選挙に行こう!なんて事をわざわざお前に言われんでもわかっとるわ、って思いながら
この時期になると必死にそれを拡散し始めるような人達を眺めていました。
行かない事が悪、みたいな物言いをする前に自分の足元を確認すら出来ない余裕のなさが
僕にとってはものすごく滑稽に見えてしまう。

子供が産まれて行政という物に接する機会はたくさん増えたけど
それに対する不満なんて結局は自分達で折り合いを付けていくしか方法はない。
もちろんそれには毅然と大人な対応で真っ向から立ち向かう事が必要だけど。

子供達のためにこの世界を変える、なんていうお題目にも少しも共感出来ない。
もし自分の親がそういう物言いをしてたら、僕は多分軽蔑したと思う。

世界がどう変わろうが、それに対する自分の適応力を僕は望むし
その姿を次の世代に見せていきたい。
何もかもが満たされた世界なんてどこにも存在しないしね。