宮村優&Jonidossのメンバーになってから、舞鶴・東京・岐阜とさまざまな土地でギターを弾けております。
今回は対バンイベントとして、あの神戸チキンジョージに出演となりました。
日曜という事もあり、チキンジョージの周りは車は駐めれないだろうと思って、阪神春日野道周辺に車を駐めて電車で一駅。
エレキとアコギ背負っては一駅とは言えなかなか辛かった(笑)

神戸チキンジョージには実は高校生の時に出演した事があります。
いわゆるノルマ払ってのアマチュアイベントにBOØWYのコピバンで出演。しかもドラマーとして。
38年前と言えば、阪神大震災の前なのでまだチキンジョージが倒壊前の時。

懐かしい写真がチキンジョージ店内に飾られていました。
この左側の写真が自分が出た時のチキンジョージ。
1Fが「エンペラー」というキャバレーで、2Fにあった楽屋からステージに行く時に1階のキャバレー店内が見えたのをめっちゃ覚えてます。
その後、ザ・コレクターズをチキンジョージで見たのが確か1989年。
3rdアルバムの「ぼくを苦悩させるさまざまな怪物たち」のツアーだったはず。
お客さん、めっちゃめちゃ少なくて見てる方もびっくりでしたが、演奏はめちゃめちゃカッコ良くてあれ以来のファン。
その翌年だったかな・・・・コレクターズをバーボンハウスで見た時、超満員だったのも良き想い出。
出演順がトリだったので逆リハから本番までは時間が空く。
対バンユニットの一つが、いつも一緒に演奏してる人たちが多かったのでリハーサルを見たり、街をフラフラしてみたり。
本番も何のトラブルもなく、楽しく演奏出来ました。
ステージ上の音響もそれはそれは素晴らしく、ステージからの景色もすごくよかった・・!
チキンジョージでそのまま打ち上げがあったので、少しだけ参加してから帰路へ。
神戸の街 ― はじまりの場所
春日野道駅から車に乗って一人ドライブ。
ふと思い立って少し寄り道をする。
家を出て最初に暮らしたあのマンションがまだ残っているのか、というちょっとした興味。
1990年辺りからたった1年だけ、神戸で暮らしてたのですな。
職場が大阪だったのにも関わらず、なぜか神戸、そして、神戸。
ただの気まぐれだったのか、それとも憧れでもあったのか。
マンションの1階に大家さんが住んでいて、そこに家賃を払いに行くというシステム。
住み始めてから何ヶ月かして近くに「らーめんたろう 阪急六甲店」が出来たので、よく通ってた想い出。
食べ放題のキムチが美味しくて・・・・食べ放題キムチは未だに続いてるはず。
らーめんたろうの創業は1989年なので、この辺は合致している。
大阪に戻るように引っ越して、その後の1995年1月17日。阪神大震災。
たった1年といえど、暮らしてた街が崩壊しているのをテレビで見るのはきつかった・・・
3日後、ペットボトルの水を背負えるだけ背負って、住んでたマンションへ。
1Fの大家さんに、届けようと思ったんよね何故か・・・・神戸の街に何か出来る事ねえかって探しても接点がそこにしかなかったのかも。
西宮の大谷記念美術館の駐車場に車を止めてそこから歩いたら、横倒しになった阪神高速が。
ガスの臭いがしていた倒壊家屋。「ここに一人埋まっています。お願いします」の貼り紙。
現実感があまりなくてぼんやりしてたのを今でも覚えてます。映画のセットの中を歩いてるみたいで・・・・
JR六甲道駅から北上すると、電車のガードは落ちていて、いつも通ってたレンタルCD屋さんはビルごと倒れてた。
そこから北上・・・・よく通ってたお風呂屋さんは瓦礫に。
しかし、阪急の線路より北側はほぼ大丈夫なのに驚いた。
阪急の線路より南はほぼ壊滅だったのに。
自分が住んでたマンションは阪急の線路より北側だったので、完全に無事で電気も点いてました。
先ほど見てきた地獄との落差にどっと疲れたと同時に安堵。
インターホンを押すと、大家さんが出てきて、とりあえずお水を渡したのがあの震災時の想い出。

あの震災の日から31年。まだあの時も暮らしたマンションは健在でした。下の入口がオートロックになってた。
きっともう大家さんは代替わりしてるだろうけどね。
家を出て初めて自活したこのマンション・・・あれからもう36年・・・すごいね。
ずいぶんと長い時間が経ってたみたいやけども、まだ窓から花火は見えるのだろうか?
営業時間が過ぎてしまってて、残念ながららーめんたろうでは食べられず。
ちょいとノスタルジーな夜。帰り道、いろーんな事を思いだした夜でした。