ドアを開けると力尽きたセミが転がっている、そんな季節になりました。
ああ、死んじまったかと思いドアのカギを閉めていると急に蘇ってバタバタしだすセミにビビりながら家を出る。
明日から8月。ああ、今年も半分が過ぎて下半期に突入していく。
2017年は開始早々、様々な状況の変化を見せて自分の心の中のバランスが崩れつつある。
それをどこか他人の様な視点で眺めながら、黙々とやるべき事をこなしている感覚が続いている。
崩れたバランスはきっと自己を見つめ直すきっかけなのであろう。
やりたい事、やりたくない事、よかれと思ってやってた事が実は迷惑甚だしい事だったり、そんな事が頭を巡りながらもこうして半年が過ぎてしまったわけである。
これ以上なんもない、と思いながらもきっと今年はまだ何かある予感はしている。
その変化を受け入れる器が自分にあるかどうかはまだわからないけども、前向きにそれを楽しむ余裕が必要だ。
ひっくり返って死んだように見えていても、まだバタバタとあがくぐらいの気力はある。
ミンミンと高らかに鳴く事はもう出来ないにしても、だ。
どれを選んでどれを捨てるのか、とかしか今の時点では考える事しか出来ないのだけど
振り返ってみれば恐らく生きるというのはそういう事の連続なのかもしれない。
ああ、なんとも面倒くさくてなんとも華々しいじゃありませんか。
先日、近所にあるキリシタン遺物史料館に行ってきた。
この辺りはキリシタン大名だった高山右近が治めていた事もあり、迫害されながらも生き抜いてきたキリシタンの人々の遺物がひっそりと展示されている。
教科書などで絶対に見かけるフランシスコ・ザビエルのこの絵。
この絵はこの資料館の向かいに今も残る東家で見つかったそうな。
車でないと絶対に行けないここにもうすぐ新名神高速道路が通ってしまい、ひっそりとした隠れキリシタンの地も景観がガラリと変わってしまう。
時の流れというのは色んなもんの形を変えてしまいますわね。
何が変わって、そして何を変えずに生きていけるのかという漠然としたものを楽しめるぐらいの余裕が欲しいとこですな。
さあ、今年も本格的な夏、そして下半期のスタートです。
ひっそりと、そしてしたたかな情熱を持って。