おととい、TogetterにてまとめられていたこのTweet。
「ロック人生とは?」〜ある中年バンドマンの苦渋の選択〜
http://togetter.com/li/375792

つぶやいた本人さんによるまとめで、あの「黄色い人」のキュレーションにも
目に止まったようでけっこう読んだ人も多いだろうと思います。

個人的にはこの方と同年代で、バンドを続ける難しさもよくわかるし
身体を壊す事でバンド活動に暗雲が立ち込めるさまもよくわかる。

しかし僕と根本的に違うのは
「ロック」という言葉に幻想を抱いてしまっていた、という事なのかも知れません。
まとめのタイトルや終盤のツイートに出てくる 「ロックとは生き様」という
そういう捉え方はもはや僕はしていないのです。

僕は昔から何度もブログやツイートでも発言してきたけど
なぜ、たかが「音楽ジャンルのラベル」に過ぎない「ロック」という言葉に
精神性が付随するのだろう、と昔から疑問に思っている。

○○な生き方、という言葉と共に使われるのは「パンク」も同じだけど
以前書いたシド・ヴィシャスについてのエントリーでも触れている通り
ロック・ビジネスはほぼ誰かの手によって演出されており
ステージや耳にする音でリスナー側が作り上げた幻想にすぎないと思うのだ。

革ジャン、リーゼントで客に悪態つきながら適当に演奏していたビートルズに
スーツを着せて、毎回同じセットリスト、そして曲の最後にお辞儀をさせた
ブライアン・エプスタインという存在や
ビートルズの優等生に対する不良というイメージを創りあげて
「君の妹がストーンズのメンバーと付き合うのを許せるか?」と
キャンペーンを展開したアンドリュー・オールダムという存在。
エルヴィス・プレスリーにだってパーカー大佐がいたし、
もっと遡ると「ロック・アラウンド・ザ・クロック」だって、今でいうところの
「映画とのタイアップ」だ。

いつの時代もロックミュージックは「メディア」を利用して
その偶像の歴史を創りあげてきたのである。

やりたいように、好きなようにやってメインストリームに踊りでたような
バンドなんて、多分ひとつもない。
みんな「これは売れるのか」「金になるのか」という事をメンバー本人、
もしくはそばにいた誰かが一生懸命やった結果なのだ。
おそらく殆どの人が「ロックじゃない」と嫌悪するものと常に背中合わせなのだ。

「好き勝手に自由にやるのがロックな生き方」だというならば
同じ構成、同じ動き、同じ所で火を吐く、というパッケージングショーを
やり続けたキッスはじゃあロックな生き方ではないのだろうか?

そもそも「ロックな生き方」というのはなんだ?という話になってくるけど
これすらもただの幻想な気がする。
お金が絡む以上、誰かに評価されずして仕事にはならないのだから
目の前のユーザーの事を考えずしては成り立たない。

まとめを作った人は、おそらく「ロック」という言葉の魔力の被害者だと思う。
たかが音楽、たかがバンド活動に生き方をリンクさせる必要なんてないのだ。
何をして食ってようが、ステージの上や音源で輝いていればそれでいいはずなのだ。

僕はロックという音楽に魅せられた内の一人であることは間違いないし、
世間が言うところの「年甲斐もなく」バンド活動を続けている一人だけれど
何かと何かを天秤に載せて迷うような思考はない。
かといって「生き様」なんてたいそうなものでもない。
ゴルフや釣りと同じく、生活の中のただの1シーンに過ぎないのだ。

そしておそらく、これからの日本の音楽業界も
幻想こみのパッケージングではお金が取れなくなっていくような気がする。
「お金の事を言うと夢が壊れる」というユーザー教育をしてきた業界のツケが
じわりじわりと業界自らの首を締めているように見えるからだ。

ローリング・ストーンズはIt’s Only Rock’nRoll,But I Like it
(たかがロックンロールじゃねえか。でもオレはそいつが好きなんだ)と歌った。
この言葉は今になっても輝きを失ってはいない。
こんなにシンプルな言葉なのに深いのだ。

そしてモット・ザ・フープルが歌った

Rock’n’roll’s a loser’s game
It mesmerises and I can’t explain

という言葉もある。

たかが音楽、そんな思いを活動側、そしてユーザー側みんなが持てば
「就職・結婚かバンド活動か」なんてまったくくだらない選択はなくなると思うんだけどね。

ロックという漠然としたもの。それがたとえ幻想だとしても
だからこそ我々は魅了されたはず。
そこに現実をリンクさせて、自分を追い込むような事は何か違う気がしています。