月末の「夜会」からここ5日間ぐらい本当にバタバタと時間が流れ、仕事部屋はそれこそ脱ぎ散らかした服に埋もれている、という状況で過ごしておりまして。
そんな中で出演している心斎橋でオールディーズが聴けるお店から依頼を請けてWordpressページの納品を完了。
制作にあたって、様々なTIPSも身につけたのだけどそれを箇条書きで書き留める事しかしていない。
忘れないウチにきっちりと記事にしておかなければならない。
合間合間にメシを食うときにぼんやりとテレビを付けるのだけれど、流れてくるのは痛ましい事故と、とある家庭の崩壊のニュースばかり。
44才で実家に戻り、親名義のカードで月額30万円を使い、それプラス家庭内暴力。
「俺の人生何だったんだ、どうなってんだ」と叫んでたらしいですがねえ・・・
自分にとっては何一つ共感する事の出来ない人間ではありますが、きっとどちらにも言い分ってのがあるのでしょう。
幼少の頃、たった一言言われた言葉で傷ついて、それをずっと引きずる場合がある事も今ではわかる。
大人になるにつれ「忘れてしまう事、遠ざけてしまう事」が最も(自分にとって)マシな解決法だとわかったので、サクサクと切り替えて日々を過ごせる様になった。
そんな自分もふと見ると男の子の父親になってるわけでしてね。
44才のスネかじり(とあえて書く)も「いつか子供達に危害を加えるかも」と殺してしまう事にした父親も、どちらもいつかの、そして未来の自分の姿かも知れないな、と思うわけですよ。
まー、月30万の遊興費も官僚という社会的地位もきっとこの先縁がございませんがね。
思考自体も「怒らない子育て」ちゅうもんには「ハア?」としか思えないので、怒るしどつくという事は普通に実践しております。
怒るという事は非常に疲れるししんどいので、出来れば避けたいわけですが「聞き分け」「ガマン」という過程を叩き込むにはどうしても声を荒げる場面も出てきますわ、小学1年生だと。
「ごめん、あとお願い」だけで「はーい」とフォローに回ってくれる長女にもかなり助けられてはいますが。
お風呂でシクシク泣いてる長男を「ああいう時は~」って宥めてくれる長女。
「ここは怒られとかなアカン場面や」ていうのを理解してくれてる、と思いたいですな。
いずれきっと真っ先に死ぬのはワシですので「唯一残る男のお前がしっかりせんかいね」という基本方針なんですが、きっとこの令和時代、そういうのもホンマはアカンのでしょうねきっと。
良かったのか悪かったのか、きっとワシが死ぬ時にわかるんだろうなあ。
1970年に「老人と子供のポルカ」という曲がスマッシュ・ヒットしたそうで。
もちろんこの曲がリリースされた時は自分はまだ生まれておりません。
あとから知った時にはこの独特のリズム感のボーカル、しかし後ろのリズム隊が妙にタイトというその落差にすごい耳に残ったわけですが、ここで「やめてけれ」と歌われるのは
- 「ゲバゲバ(学生運動の内ゲバ)」
- 「ジコジコ(事故)」
- 「ストスト(ストライキ)」
の被害者は老人と子供である。
だから神様に「助けて」とお願いしているそうで。
ぼんやりとその「老人」の未来が見えつつある中年は「ほんまにそうよな」と妙に納得してしまうのであった。
越してきて8年目にして初地元で演奏するの図
前回の記事で「地元に活動の拠点を」という話が出ておりましたが、早速「夜会近所組」で地元にある「時代屋」さんに行ってみる事に。
全員初めて訪れるこの店。ふっと入るとたまたまその日はオープンマイクの日でした。
誰も自分らの事を知らない所で演奏する、というのもまた楽しいもんです。
Shinさん2曲、Ayaちゃん1曲の合計3曲演奏して、あとはお店のお客さんとお喋りを。
聞けばこの茨木界隈はこういうお店が盛んなのだそうで。
ここに引っ越して来て8年、地元で演奏するって事にまったく頭が回らなかったのもどうか、と思いますが。
なんていいますか、自分らの「芸」だけで切り開く感というのもエエもんやなと思いましたね(笑)
時代屋さんでは8/10にイベントがあるそうですが、そちらに誘って頂きまして出演が決定しました。
また茨木・高槻あたりのこういうお店を探してオープンマイクイベントにどんどん出かけようかと思います。