現在の我が家からほんの数分の所にある阿武山。
ここに越してきた時から「あの山のてっぺんにある建物はなんやろ?」とは思っていたんです。
それが阿武山地震観測所という建物だと知ったのが最近。
そして、なんと月に2日ほど一般公開してるっていうやないですか。
廃墟やモダン建築大好きな自分にとって、こりゃあ行かんとアカンでって事で・・・

阿武山地震観測所全景

阿武山地震観測所全景

行ってきました。もうこの全景だけでもゾクゾクしますがな・・・

まずはボランティアの方々によるちょっとした地震学のセミナーを受ける。
地震学というのはそもそも地震が多い所じゃないと発展しない、との事でこの日本で発足したのが1872年(明治5年)
この年、現在の島根県浜田市沖でマグニチュード7.1、推定震度7の「浜田地震」が発生したのがきっかけだそうで。

この阿武山地震観測所が建造されたのは1930年(昭和5年)。
1927年(昭和2年)に起こった北丹後地震(マグニチュード7.3、犠牲者約3000人)が発端とか。

非常に興味深いお話をフムフムと聞き終わったら、いよいよ館内散策&展示物見学。
ちなみに写真は全て撮影OK。なんといっても「撮影写真コンテスト」なんてのも行われているぐらい。

玄関ホール

玄関ホール

1F通路

1F通路

なんともたまらないこのレトロ感・・・・向こうから軍服を着た作戦参謀総長が歩いてきそうな感があります。
映画のロケ地とかにもええんちゃうん、と思ってたら映画「プリンセス・トヨトミ」のロケ地に使われたそうで。

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B1廊下

B1廊下

まずは地下にある展示物を見学。
現在は観測そのものは宇治の方の施設に一部移行してるみたいですが、当時使われてた地震計はそのまま展示されています。

ウィーヘルト地震計

ウィーヘルト地震計(1904年開発)

重さが1トンもあるらしい・・・この地震計は1997年の観測終了まで現役だったとか。

佐々氏大震計

佐々氏大震計(昭和9年開発)

普通の地震計だと大きな揺れの際に針が振り切ってしまうために、大きな揺れ専用として開発されたのがこちら。
大地震専用に感度を低くしていて、世界で一つしかないというレア物とか。
こちらも1997年で観測は終了している。

阪神大震災(1995年)時の計測結果

阪神大震災(1995年)時の計測結果

この地震計で計測された阪神大震災のデータが展示されていました。

佐々式強震計

佐々式強震計(昭和31年)

先ほどの大震計と同じ、佐々憲三氏による「やや大きな揺れ」用に開発されたのがこちら。
20年経ってかなり小型化されたのがわかります。
ここで色んな知恵と工夫、そして実験が繰り返されてきたんやろなあ、と思うと感慨深い。
こちらの機械も1997年で観測は終了している。

展示物の中で最も興味深かったのがログを記録するための装置(データロガー)

SONY TC-777(1961年)

SONY TC-777(1961年)

こ・・・これはSONYのオープンリールデッキの名機、777やん!!現物初めて見たわ!!
隣にはTC-6000(1972年)も置かれています。こちらも現物は初見でした。
まさかこんな所でオープンリールデッキと遭遇するなんて思いませんやん・・・

TEAC R-260 ポーダブルデータレコーダー

TEAC R-260 ポーダブルデータレコーダー

これは7チャンネルって書いてあるから、マルチトラックレコーダーになるんかな。。。
このメカメカしい感じがなんともカッコイイじゃありませんか。

このセクション、あんま重要視されてないというか説明もされなかったのですが
ボランティアの人は全く興味がないんでしょうきっと(笑)
いや、これはオーディオ好きな人から見たらなかなかの展示物やと思うんですがねえ。
しげしげと眺めて「へえ~」言うてたら、この部屋にただ一人置いていかれてましたw

プレス・ユーイング式地震計(1953年)

プレス・ユーイング式地震計(1953年)

一気に小型化した感のあるこの地震計はアメリカが「世界で同じもんを使って計測しましょう」と125カ国に配ったもの。
配られたのは1963年、との事なので冷戦下真っ最中。
これによって、世界で同一基準の地震データが観測出来るようになったので地震学は進んだらしいんですが、「世界のどこで地下核実験が行われているか探る」というもう一つの目的もあったそうで・・・・

現役の地震計達

現役の地震計達

真ん中のテーブルの上に置かれているのが現在使用されている地震計。
重さ1トンもあった当初から比べると、なんとも小さくなったもんですね。
左側の黄色いのは海底用の地震計です。

「じゃあここのツアーで一番人気の屋上に向かいましょう」という事で移動開始。

階段ホール

階段ホール

ストーブ

石炭ストーブ

うおお、これはダルマストーブ??
自分が小学生の頃はもうなかったけど、そっか、ここは昭和5年建造やもんなあ・・・と感動。

階段ホール

階段ホール

そして屋上!

阿武山地震観測所屋上

阿武山地震観測所屋上

これは絶景。生駒山から淡路島まで見渡せるとか。
ここ、夜景もキレイやろなあきっと。

屋上でしばらく滞在した後、もう一度セミナールームへ戻ってビデオ鑑賞。
その後、この観測所を建造する際に発掘された「阿武山古墳」を見に行く。

阿武山古墳

阿武山古墳

阿武山古墳

阿武山古墳

ここを建造する際にたまたま古墳の石室が見つかり、棺の中から毛髪まで残った遺骨が出てきたそうで。
錦を身にまとい、金の糸がちりばめられてたので「貴人のお墓」と報道されたあげく2万人が押しかけたとか。

京大・地震観測所側が発掘の主導権を握っていたんですが、同じ京大の考古学研究室が「扱いが手荒じゃねえか」と対立。
そして、棺の中の人が藤原鎌足(中臣鎌足)じゃないか、という説が濃厚になってきたのもまずかった。
なんせ時は昭和5年。まだ天皇は神様だった頃ですから、色々とはっきりされてはマズいんである。
こういう位の人に出てきてもらったら困る、ってこっちゃね。

なので、そのまま埋め戻されてその後は一度も調査されてない、という事。
地震観測所側が埋め戻す前に遺骨などをエックス線撮影をしていたんですが、その原板が1982年に見つかったのでそれを調査した結果

  • 被葬者は腰椎骨折し、寝たきりのまま亡くなった
  • 金の糸が冠の刺繍糸だった

のが新たに判明。
伝えられる伝承では藤原鎌足は落馬が原因で亡くなった事、そして金の冠が仮に大織冠であれば史上、授けられたのが藤原鎌足(しかも死の前日だった)だけと言うことでほぼほぼ、この古墳の埋葬者は藤原鎌足で間違いなさそうではあります。

いやしかし、そんなビッグネームがこんな近くに埋葬されてるなんて思いもしませんや。
大化の改新、とか小学生の時に真っ先に覚えるビッグイベントですもんね(笑)

それにしても歴史のロマンにたっぷりと浸かった1日でした。
新たな興味もいっぱい出てきましたしね。
ここは家から近いし、また訪れると思います。

見学会の詳細等はこちらのオフィシャルサイトから確認出来ます。

特定非営利活動法人 阿武山地震・防災サイエンスミュージアム
https://www.npo-abuyama.org/