前日の仕事を終えて帰宅したのが3:30。
ご飯を食べて風呂に入り、布団に入ったのがちょうど5:30ぐらい。
9時に鳴り響く目覚ましに眠い目をこすりながらも身支度して家を出た。

今日は自治会主催の餅つき。
本当は年末の予定だったけどもさすがに年末で忙しい人が多くて
年明けの今日に予定が変更になったのだ。
僕は自治会役員2年目なのでスタッフとして2回目の参加になります。

2014-01-13-10.30.12

こんなおっさんでも「若手」として力仕事要員として動員される
ニュータウンの高齢化事情の悲しさ(笑)
とはいえ、今日はたくさんの子供達も参加してとても楽しい餅つきとなりました。
お餅を丸めたりする経験なんかも、今ではなかなか難しくなっているし
中にはこうしてお餅が出来上がるって事も知らない子供達もいるわけですから
こうしてみんなでワイワイやるのってやっぱり大事な事なのかも。

餅つきの由来
http://www.bunsugi.ed.jp/pasodou/dento/mochituki.htm

「モチ」は民俗学でいうハレの日(非日常、とくに神祭など祝いの日)の食べ物で、稲作農耕の食文化の一つとして伝えられました。
古い日本では「モチヒ」と言い、モチは糯もちごめ(粘りの強いコメ)や黐もち(ヒエなどをねって粘りをだしたもの)、「ヒ=飯」は穀物を煮たり蒸かしたりした食べ物のことで、その二つの単語を合わせた言葉です。また、「モチ」という言葉の由来は、モチヒを省略したものや、搗いたモチを満月(望もち月づき)のように形づくった(現在の鏡餅)からともいわれます。漢語の「餅へい」は小麦粉をこねて丸く平たく焼いた食品のことですが、日本では独自に「もち米などを蒸して搗いた食品」に限定しています。
その餅を神祭や通過儀礼の食品としたのは稲霊信仰によるもので、餅を食べることで神の霊力を体内に迎え、生命力の再生と補強を願ったといいます。また、年間で最も重要な神祭のお正月を年玉(年魂)といい、昔は家族やゆかりの人に餅を配る風習が各地にあり、戦後の食糧難時代にも搗きたての餅を近所に配り歩く家庭が少なくありませんでした。
1970年代以降、日本では食生活や住居様式の変化などから、都市では自宅で餅を搗く風景はほとんど見られなくなりました。しかし、保育所や幼稚園の餅つき体験、商店街や町内会のイベント、各種記念行事などの祝いごとには、いまなお餅つきが盛んにおこなわれています。

「お餅を食べて神の力を迎え入れ元気になろう」、「そして、神(自然)に感謝しよう」という事なのですね。

そういえば昔おばあちゃんが「29日は餅つきしたらあかんのや」って言うてました。
調べてみると、年末の12月29日は「苦を搗く」音韻から九日餅(くんちもち)と呼び
年末の数日間のうち、その日だけは餅をついたり購入を避ける風習があるらしい。

いい機会なので娘と一緒に杵を握って、お餅をつきました。
人がたくさんいたので人見知りの激しい娘はなかなか難しい顔をしてましたが
ポケーっと何も考えてなさそうな長男はあちこち走り回ってました(笑)

なにより、やっぱり出来たてのお餅は美味い!
あんこやきな粉はもちろんの事、今日は誰かが塩昆布を持ってきてまして
これがまたなかなか美味しかった。
今までこの組み合わせは全く思いつかなかっただけに新鮮でしたね。

杵を振り下ろしまくったせいか、腕のあちこちが痛いのですけども
このお餅のおいしさ、そして老若男女入り交じってのコミュニケーションは
やっぱり無くしてしまってはダメだなあ、と思いました。
これはやっぱり大事な「文化」ですしね。

今年の4月で自治会役員のお役目は終わるのですけども
こういう行事には積極的に顔を出していこうかな。
そういう事をずっと繰り返していった結果、
「近所でよく見るおっちゃん」と子供達に呼ばれるのもそんなに悪くない気がする(笑)