原発事故以降、やたらと清志郎が残した替え歌(あえてこういう表現をする)
「サマータイム・ブルース」を見かけるようになった。
元々はエディ・コクランが残したロックンロールナンバーで
雇用する側、される側の悲哀をコミカルに歌い上げたものなんだけども
清志郎はそれを原子力発電所についての歌にして発表したのである。
そういえば雇用する側、される側の悲哀といえば「ボスしけてるぜ」という曲を
清志郎はRC時代のシングルのB面として残している。

「サマータイム・ブルース」の歌詞をそのままお題目のようにして
反原発に直接絡めている人達を見ていて、なんだかなあと思い
これに対して違和感ある人いないのかな、と検索していて見つけたのがこの記事。

反原発アンセムという幻想 (JAPAN2011.12月号 REVIEWより再掲)
http://ameblo.jp/to1968211/entry-11168975481.html

これはライターの大津輝章さんが書いた文章なのだけれども
この記事の内容がまさに僕の抱いてる違和感を表していました。

特にここの部分。

今「サマータイム・ブルース」を聴いて、10代、20代の人が話題にしたくなる気持ちは、分からないでもない。ポップで、カッコよくて、不謹慎で、 笑えて…。

RCも清志郎もよく知らないけど、機会があるたびにこの曲を聴きたくなる、この曲に触発されて、何かを発信したくなる人が出てきても、自然なことだ。
その流れで「反原発アンセムだ、カッコいい」と言い出す人だっているだろう。

でも自分と同じか、さらに上の年代の人たちに対しては、そんなふうに見ることはできない。RCや清志郎をリアルタイムで聴き、彼らのファンを自称しながら、何のためらいもなく「サマータイム・ブルース」を反原発の象徴に担ぎ出す人を、僕はどうしても理解できない。

なぜ今さら「サマータイム・ブルース」を担ぎ出すのか。
「サマータイム・ブルース」1曲を抜き出して清志郎すごい、RCすごいと言う行為は、「サマータイム・ブルース」1曲でリリースを見送り、彼らを踏みにじった行為とイコールだ。
まともに表現と向き合っていないという意味では、ほとんど同罪ではないか。
なぜそれが分からないのだろう。

僕がRCを知ったのはちょうど高校生になった時。
BOØWYのコピバンをやりたいけどメンバーにベースとボーカルがいなくて困ってた時
ドラムとキーボード、そしてギターを探していた別のグループがいて、
彼らがやりたかったのがRCサクセションのコピーバンドだった。
交換条件としてお互いのやりたい曲をやろう、という事で一緒にバンドを組んだのだ。

その時に初めてRCサクセションを「BOØWYをやる為に演奏しなければならない物」
として聴いたのである。
少なくともRCサクセションは、あの第二次バンドブームの際には
誰もが知っているバンドではなかったし、実際演奏しても友達にはウケなかった。
ただし、若い先生達にはとても評判がよかったけど(笑)

高校1年の冬にBOØWYは解散を表明し、RCはちょうど「MARVY」をリリース。
その時のツアーで初めてRCサクセションのライブを見たのだけれども
素晴らしいライブに僕は完全にファンになってしまったのだ。
いつの間にかBOØWYのコピバンはなくなり、自分達はRC一本のバンドになった。
そしてその年に「COVERS」騒動に至る。
まさに大津さんと同じ時間軸の上に僕たちもいて、あの時の清志郎を
「大丈夫なのかな」という目で見てたという事になる。

あの時、清志郎が怒ってたのは原発に対してじゃなくレコード会社に対してだった。
大津さんが記事で書いてたように「サマータイム・ブルース」はあの当時
そんなにシリアスに受け止められていた記憶は僕にもないのである。

清志郎が死んでしまった今、曲だけは残っている。
ジョン・レノンが残した「イマジン」のおかげで、ジョンが平和主義者みたいな
持ち上げられ方をされるのと同じような違和感。

ジョンが過去の自分の曲をクソミソにけなしまくったり、
CMで使われてたような「家族愛」みたいなプライベートではなかったのは
ジョンの事を少しでも突っ込んで研究し、人となりを知っている人なら
誰もがわかっている事だろうし、もし今ジョンが生きていたら
「あんな曲は書いた覚えはない」とか言ってそうな気がする。

もし今、清志郎が生きていたら
「最近、若い奴らやうさんくせえ連中がオレを担ぎ出そうとしてうっとうしい」
とか言いそうだよな、って僕は思ってる。

死人に口なし。
作品だけが残ってしまうのが表現者の宿命なのは仕方ないのかもね。