前回のオフ日は見事に熱を出してぶっ倒れてしまいまして
娘にも「・・・今度のお休みにはどっかいこーね」とクギを刺された事もあり
万全の体調管理で挑んだ本日のお休み。
去年もこの時期に万博公園に梅を見に行ってたので
今年も行ってみるか、と家族で出かけてきました。
しかし、横から吹き付ける雪(笑)
寒の戻りとは言いますが、嫌がらせの様に吹き付ける雪に大人と乳児はげんなり。
只一人、娘はとても喜んではりました。
雪が降ったり止んだりする中、久々の緑の中の散歩を楽しみました。
やっぱりこの公園はいつ来ても素晴らしい。
娘が大好きな南側の滑り台に移動した後、子供達を嫁さんにまかせて
前から行ってみたかったEXPO’70パビリオン(旧鉄鋼館)に初めて潜入。
1990年代にかかれたこのサイトの情報では
元々のウリだった全方位型のステージがあったホールは
雨漏りなどが激しくて、朽ち果てるに任せている状態と書いてあったので
一階から少しでも覗ければいいかな、と思ってたのだけど
2階のガラス張りの展示室から中を見渡せるようになってました。
当時の音楽が流されて、色とりどりの光が飛び交う様は圧巻!
1970年当時の鉄鋼館の映像をYoutubeで見つけました。
ああ、しかしなぜここが一度も使われる事もなく今まで来たんだろう。
電子音楽やテクノ系のイベントとかやれば絶対楽しそうなのになあ。
この鉄鋼館は実は大阪万博開催前から永久保存が決まっていた建物で
万博終了後はコンサートホールとして使われる予定だった。
しかし、行政の悪い所は当時から変わってないみたいで
大阪市に譲渡された後は朽ち果てるがままにホール部分は放置されてしまった。
千里中央から伸びてた臨時線路もすぐに撤去されてしまったし
モノレールが出来るまではアクセスが非常に悪かったせいもあったろう。
当時この中で流すための音楽を作った高橋悠治氏によるこの文章が全てを表している。
万国博のあとで、鉄鋼館は地方自治体に譲り渡された。しかし、それがこの建物を維持するだけでさえ必要な巨額なカネを支出することができたとしても、スペース・シアターにはあまりに限られた使用法しかなく、しかも誰がそれに興味をもったろう。
ある劇場が共同体にとって必要とされる条件を考えることなく、大衆との話し合いもなく、勝手に作られ、譲られた建物は、この上なく迷惑な贈り物でしかなかったにちがいない。それは今、ホコリの中に朽ちてゆこうとしている。その実験の成果はどこにも生かされなかったし、その失敗の教訓をだれも学ばなかった。
高橋悠治「技術について」(『高橋悠治|コレクション1970年代』平凡社ライブラリー、2004年)より
いつかここでイベントが行われる事になればいいな。
このパビリオン内では万博関連の展示もされており、この内容もとても充実している。
本当はもっとゆっくり見たかったのだけども
この鉄鋼館のホールに入る前にスマホを落として割ってしまい、
心が折れていたのでパネルの文字を読む余裕がなかったのです(笑)
なんとかカメラボタンでカメラは稼働するのでこれらの写真を撮影しておりました。
鉄鋼館を出て大興奮の僕は、滑り台にいる嫁さんに
「おいすげえ!すげえ鉄鋼館!すぐにみといで!」と告げて交代。
ここから閉園までは娘と二人で変な自転車にいっぱい乗って遊びました。
全然思ったように進まない娘はたいそうイライラしてましたがw
鉄鋼館から帰って来た嫁さんもめっちゃ興奮しており
長男はレーザー飛び交うスペースシアターを見てニコニコしてたそうで(笑)
公園を出てauショップに立ち寄り、交換手続きをしてから定番のくら寿司へ。
PM8:00に帰宅した瞬間、布団に倒れ込んで眠りに落ちました。
いい休みでした。次に行く時はじっくりパネルを読んでまわりたいな。