連日報道されている尼崎変死事件。
あまりのややこしさに未だにすべてを把握できていないのだけれど
報道されてたものの中に、容疑者である角田美代子が
「自分は手を出さずに親子同士で殴らせていた」
というのを聞いて、どうしても連想してしまったのが、あの山岳ベース事件、
そして、事件の主犯格ですでに獄死してこの世を去っている永田洋子被告の事。

山岳ベース事件はあさま山荘事件に至る途中で、
連合赤軍が自分たちのメンバーを「総括」と称して、計12人をリンチ殺人した事件です。
山岳ベース事件のwikipediaはこちら

永田洋子被告は事件当時27歳で、あるメンバーに対して
顔を自分の拳で腫れ上がるまで殴る事を命令したりしていたのですが
背景にあったのは「集団の狂気」なのはどちらの事件も変わりはない気がします。

しかし、「狂気」と判断するのはあくまで外側にいた人間で
これを実践している側の人達にとっては「普通」なのが、僕が一番恐ろしく感じる部分。
しかし、1970年初頭からの時代背景は、僕にとっては生まれる前の話なので
書物で読む事でしか知ることができない。
だから、どうしても曖昧な部分があるのは仕方ない。

そんな想いを抱くにいたって、てっとり早いのは「本人達の証言」を読む事。
あさま山荘事件で逮捕された各メンバーの獄中で書かれた著書はほとんど読んだので
それぞれの主義主張はある程度わかるのですけれど
当時の学生さんがこんな難しい事を考えていたのか、という驚きの方が大きかった。
あのお気楽なバブル直後に18を迎えて、バンドとセックスしか頭になかった自分との違いに。
このメンバーの中には絶対に入れないだろうな、と。
もし入ったのなら真っ先に総括にあって殺されて埋められてしまうと思います。

僕自身はビートルズや当時のロックが大好きですが、リアルタイム世代ではないので
その世代の文化などにもものすごく興味があってよく本などを読んでいます。
でも、一番心躍るのはやはり「その時代に青春を送った人のお話」です。
体験に基づいた話ほどおもしろいものはない。
だからちょうど60歳過ぎの方とお話するのが、一番大好物なわけです。

当時、学生運動に参加されてた方にもお会いした事があって
いろいろとお話を聞いたのですけども、やはりこの山岳ベース事件については
あまり多くを語りたくなかったみたいでした。
僕の予想ですが、この事件はまじめに運動をしていた人であればあるほど
思いっきり水をさされた事件だったのだろうと思っています。

大きな話をすれば、国家間の戦争にしたって、突き詰めると
「あいつの普通はオレとは違う」という部分から始まるわけですから
僕は「普通」という言葉と意味にバランス感覚を持っていたいと強く思うのです。

「私はこういう人間だから!(だから理解してね)」と開き直るいい大人が大嫌いなのも
こういうバランス感覚を欠いた人間が大人を名乗っていいものか、という気持ちがあるから。
まだ子供ならば「かわいいな」で済むんですがね。
「永遠の子供だから!」って上乗せしてくる人に対しては、
正直、同じレベルで相手する気にもなりませんし。

普通という言葉には「大勢の意見とのバランスがとれている」という意味も含まれているからこそ
こういう事件を起こす人間に対しての嫌悪感が生まれると思うのですね。

だからこそ、その「普通」という言葉に敏感でありたい。
受け入れる柔軟さと断固として拒否する頑固さのバランス感覚に。

山岳ベース事件からあさま山荘に至る事件に興味がわいたのなら、
死刑確定して未だに収監中である坂口弘被告の
「あさま山荘1972」の上・下・続巻の3つを読むのがまずおすすめです。

著書を出しているメンバーの中では、一番読みやすいです。
ただし、ある程度の社会主義思想の知識がないと言うてる事がわけわかりませんが・・・

あと映像作品なら「光の雨」は必見です。
原作を映画化しようとする劇中劇の形に変わっていますが
それによって現代の若者とのギャップをうまく描けています。
永田洋子がモデルの人物を演ずる裕木奈江の演技はものすごいものがあります。
あのブリブリの時代しか知らない人が見たら、よけいに恐ろしく感じるでしょう。