シーナ&ザ・ロケッツのVoであるシーナさんが亡くなった。享年61歳。
ポール・マッカートニーやThe Who、そしてストーンズなどのロック・レジェンド達が
70歳を超えてもエネルギッシュなライブをやってるという昨今なだけに
61歳で亡くなるというのは余りにも早すぎる気がする。
僕は元々黒いレスポールカスタムを使っていた事もあるだけに
鮎川さんのギタースタイルはガキの頃からいわば憧れのスタイルだった。
黒のレスポールカスタムと言えば自分にとっては鮎川さん、そして
The Modsの苣木さんというめんたいロック二大ギタリストから得た
レスポールを持っての立ち振る舞いは大いに参考にさせてもらっていた。
それより僕はこのご夫婦には未だに忘れられない強烈な想い出がある。
エレキギターを初めて手に入れた中学3年の頃。
まだバンドも組む前でまともにリフも弾けなかった初心者だった僕は
なんの予定もないのにソフトケースにギターを入れて街をブラブラ歩いていた事がある。
今考えるとギターを手に入れてただ浮かれていただけの行動だったのだけども
旧東急ホテル(現:アルモニーアンブラッセ大阪)の新御堂筋側で
シーナさんと鮎川さん、そして双子の娘さんの4人が前から歩いてきたのである。
横一列に並んだその姿は明らかに浮き世離れしていた、というか
この世の人とは思えない存在感があったのを今でもはっきりと思い出せる。
その4人の周りだけ今まで見たことのない色彩感が漂ってる感覚。
僕は勇気を振り絞って「あ、鮎川誠さん・・ですよね。握手してもらえませんか」と
声をかけてみた。
「うん?ああ」みたいに握手してくれた鮎川さんは背中にさげた僕のギターを見て
「お。ギターやっちょるんか。頑張ってな(うろ覚え)」と優しく声をかけてくれたのだ。
その間、シーナさんや陽子さん、純子さんがどうしてたかは
めいっぱい緊張していた僕には全く目に入らなかったんだけども
後から考えて「もしかしたらどこかに行く途中で邪魔してしまったのかも」と
思いっきり自己嫌悪に陥る事もありました。
この時、まだ音としてのシナロケには出会う前でしたが、それから後
1986年のライブアルバムである「Captain Guitar and Baby Rock」は
何度も何度も聴いてました。
最近、訃報を聞く度に自分にも残された時間って少ないんだろうなと思う様になりました。
身体も思う様に動かなくなってきたり、どこかにガタが来たり色々あるし
ステージの上でそのトラブルを抱えてる所が気になったりして
そんな自分の衰えにすごく嫌気がさす夜もあったりする。
だからこそ、日々をどう過ごすかというのを強く意識したいと思う。
もうすでに人生の折り返しは過ぎたという自覚はある。
ダーツの301みたいに投げる度に点数が減っていくような感覚の日々を
悔いなく充実感のみで塗りつぶしていければと。
シーナさん、ゆっくりとお休みください。
そして鮎川さんもまだまだ元気で頑張って欲しいと思います。
あの時「頑張ってな」と声をかけてもらったクソガキも40を越えてまだ頑張ってますから。