大阪都構想、反対に決まってしまいましたね。
個人的には投票権のない大阪府民なので、外から見守るしか出来ませんでしたが
閉塞感を打ち破るにはこの際変わってしまうのもいいな、と思える反面
住んでいた所の住所が変わる寂しさもわかるのでなかなか複雑な気持ちでした。

ただ、もし大阪市内に住んでいたとしたら恐らく賛成票を投じてたと思います。

今回66%もの投票率(個人的にはまだ低いと思ってます)という結果だった
この住民投票ですけども、余りに拮抗した票数だったので
「やっぱり行っとけばよかった」という声も多かったようです。
その気持ちがずっと持続してくれれば、次からの選挙などにも反映されるのかと
思うんですが、なかなかそれも難しいでしょうね。
自分達の生活と政治って直結する感じがほぼないというのが実感でしょうし。

今回、それこそ維新VS他という図式で住民を巻き込んでの騒動になったのを
ハタから見てて思い出したのが、2003年前後のYahoo!BBの「モデムばらまき」商法。
あのコンボモデムに関しては個人的に総務省を巻き込んだ騒動にまで発展したので
自分の中ではとても強烈な想い出として残っております。
もちろん、あのせいで二度とソフトバンク系列に関わるもんかと思いましたが(笑)

フレッツISDNとアナログ電話回線が主流だったあの時代に
IP電話とADSLのセットで格安の料金設定を行い、とにかく街でモデムをばらまいて
持って帰らせてセットさせれば勝ち、と取られてもおかしくないビジネス手法で
ADSLという物を一般家庭に放り込んでいったあの時の勢いを思い出しました。

当時、ISDNとの干渉問題のせいもありインフラを握っていたNTT自体が
ADSLを持ち込むのにあまり乗り気じゃありませんでした。
米国でもADSLは電話会社の妨害にあってあまり普及はしなかったようです。
これはあの広大な国土で基地局などの問題もあったでしょうけど。

2000年7月のIT戦略会議でソフトバンクの孫社長は
おなじ戦略会議の出席メンバーであったNTT社長宮津氏を巻き込んで
最大限の協力をさせる事を取り付けました。
これにより国内のブロードバンド化は一気に進んだわけです。
もちろんあのモデムバラマキ商法には賛否両論ありましたけども。

あれからたった10年足らずでブロードバンド化はほぼ当たり前になり
自分が20歳の頃には当たり前だった電話加入権なんて物はとっくに忘れ去られた物に。

歴史の変換にこういう役割が必要だとすれば、今回の都構想における騒動に対しても
これと全く同じ事を思ってしまうんですなあ。
ここまで国民に関心を高めたという実績がいずれ評価される時がくるのかもしれない。

「そういえばあの時の騒動でみんな選挙に行こうって思ったんだよなあ」という
そんな日になればいいんじゃないかな、と思います。

あと、高齢者のおかげで反対意見が通ったというシルバーデモクラシーなる
言葉まで出回っておりますが、賛成VS反対という図式のまま引きずるのではなく
「大阪の事を考えてそれぞれがみんな一生懸命考えた」という風に考えたいですな。
中には老害なんて言葉を使う若い人もいますけど、いずれみんな老人になるし
その時に自分がどんな老人になってるかなんてわかりませんしね。

同じ大阪で暮らしてて敵も味方もありませんや。
どんな状況になってもみんな「めんどくさいのー」ってヘラヘラしながら
笑って生きていけばいいじゃないですか。

それこそが「大阪人」の心意気ってもんやで。よう知らんけど。