ジョージ・マーティン卿が90歳で虹の橋を渡られてしまいました。
死因は公表されてませんが90歳なら本当に大往生だと思います。

中学時代、ビートルズ「しか」聴いてなかった時代もあり、
公式盤を全部集めるのはもちろんの事、海賊盤にまで手を出し始めて
あらゆる文献を図書館から借りて来て読みあさってましたから
ビートルズとジョージ・マーティン卿の関係がいかに深いものかを知ってるだけに
ジョージ・ハリスンが死んだ時以来の寂しさがあります。

ちなみにジョン・レノンが射殺された時、僕はそのニュースをラジオで聴きましたが
その時はまだビートルズを知りませんでした。
ラジオから流れまくる「スターティング・オーヴァー」を聴きながら
「これそんなにすごい人だったのかな」とぼんやりしてましたね。
1980年12月、小学校4年の時ですか。

その数年後、音楽の教科書に「イエスタデイ」が掲載されており
「作詞:ジョン・レノン、作曲:ポール・マッカートニー」と書かれてあるのを見て
初めてビートルズという存在を知りました。
厳密にはこの曲はポールの作詞作曲なんですが、クレジットの表記上
こう書かざるしかなかったんやろなあ。今でもこう書かれてるんだろうか??

ビートルズデビュー時、ジョン・レノンは22歳。マーティン卿は36歳。
ジョンから見たら一回り以上年上で、ものすごい大人というかヘタすると「敵」に
見えてた瞬間もあるやも知れませんね。
いきなりドラマーがあんまりよくないな、とセッションミュージシャン連れてきたし(笑)

しかし、その後ずっと仕事をしていく内にメンバーと信頼関係が出来てきて
ストリングアレンジなどでは多大なる貢献をしたのは歴史が証明しております。

ジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」では
キーもテンポも違う別のテイクを「これを繋げて欲しい」という余りにも無茶な要求に
双方のテイクの回転数を調整してつなぎ合わせるなどの荒技で応えるなど
「とにかくやってみよう」というその柔らかい発想は見習いたいですね。
このエピソードについてはこちらで詳しく読めます。
http://beatlesdata.info/9/08_strawberryfieldsforever.html

自分もここ最近、一回り以上年下の後輩と音を出すことが増えましたが
こういう発想、そしてこういうスタンスで接していきたいなと思いますね。
もちろん頼られるぐらいの知識と経験、そして自分を磨くことを忘れちゃなりませんが。

ジョージ・マーティン卿、本当にお疲れ様でした。
ゆっくりと休んで下さいね。