僕が20歳の頃からずっと家族の一員だった愛猫が天に召されました。
気がつけば僕は40歳に、ヤツは20歳になってました。
ちょうど僕の人生の半分をヤツと費やした事になります。
猫にしては大往生だったと思います。

ただ、仕事で家を空けていた際に息を引き取ってたみたいで
長い間一緒に暮らした相棒の死に目に会えなかったのは残念です。
ヤツなりに気を遣ってくれたのかも知れませんが。

思えばヤツとの出会いは20歳の頃。
あこがれだけで1年住んだ神戸から大阪に引っ越してきたその夜、
当時、同棲していた彼女とご飯を食べに行こうと外に出た時に
家の前の線路沿いでミーミー鳴いていたのを見つけたのです。

片手に乗るぐらいの小さな子猫で、目やにで両目がふさがってた状態。
賃貸マンションに引っ越したその日だし、猫を飼った経験もない僕たちには
ただその場を離れるしかできませんでした。

「もし、ご飯を食べ終わって帰ってきた時にまだあそこに居たら・・・」
そんな話をしながらご飯を食べて家に帰ってくると、まだミーミー鳴いてたのです。

「しゃあねえなあ、んじゃあウチにおいでや」と家族の一員に。

目やにを拭いてあげて、ドライフードを牛乳ですりつぶして食べさせて
猫砂を買いに行って・・・わからないなりに一生懸命やりました。

ちょうど暑くなりかけてた6月。
拾った翌日は仕事をしながら気が気じゃなかったのを覚えています。
汗だくで職場から走って帰って、家のドアを開けたら冷蔵庫の下から
ダッシュで出迎えてくれました。
焦ってカギを開ける音でびっくりして冷蔵庫の下に隠れたんでしょうね(笑)

そこから僕はサラリーマンをやめて、音楽の仕事へ。
その彼女も去り(泣)、ヤツとの二人暮らしが始まりました。

阪神大震災もこの部屋であいました。
ドン!っと大きな縦揺れの際、ヤツは寝室の隣に居たんですが
揺れ始めた時にあわててこっちに走ってくるのが見えました。
そして、倒れたタンスの下敷きに・・・・・
しかし、そのタンスに立てかけてあったアコースティックギターがタンスに挟まり
ヤツはその隙間に入り込んで難を逃れたのです。
余震がおさまるまでヤツは僕のそばから離れようとしませんでした。

子猫の時はベースの音が大嫌いで
ボーンと鳴らす度に、ダッシュで陰に隠れてこっちを伺っていたもんです。
マリオカートの画面に向かってぴょんぴょんジャンプしてたのも
今考えたらとても楽しい想い出。

そして3回の引っ越しを経て、僕も結婚して娘が生まれ
気がつけば20年という歳月が流れていました。

先日、腎不全を告げられ、「あと半年持つかどうか」という宣告をされた時は
いよいよ来たか・・・とショックとあきらめが半分半分。
一昨日はご飯も食べなくなっていて、立って歩けない状態でした。
仕事をしているデスクの横に寝かせてあげて、スポイドで水を飲ませてあげてました。

そして昨日、家を空けて演奏の仕事をしている最中にヤツは天に召されたみたいです。
家には妻も娘も居たので、一人の部屋で息を引き取ったわけじゃなかったのが
僕の気持ちにとっては救いでした。

近くにペットの火葬と埋葬をしてくれる静かなお寺があったので
そこで最後のお別れをしてきました。
不思議と悲しい、という気持ちはあまりなく涙は出ませんでした。
それよりも「よくがんばって生きたよな。そばに居てくれてありがとうな。」
という気持ちの方が大きかったです。

最後のお別れの後、家に戻りカギを開けて部屋に入った時に
「ニャーン」という声が聞こえた気がしました。
それがこの20年間の僕の習慣だったのですから、これは仕方ないのかもですね。

未だヤツが死んだという現実感がないのは
きっと「家にいて当たり前」というこの20年間の積み重ねのおかげなのかも知れません。

死についてまだ何もわからないであろう1歳3ヶ月の娘の無邪気さも
僕の心に影を落とすのを防いでくれている様です。

お先に空で待っててくれな。
いずれ誰もがそっちにいくだろうからさ。

20年間、そばに居てくれてありがとう。
ずっと部屋の中で過ごしてたから、空の広さには戸惑うだろうけど
お前のこった、3日もしたら慣れるだろうし楽しく散歩でもしてくれよな。

SION「夢を見るには」

おかしなもんだ
女といるよりお前といた時間の方が長かった。
どこにいくつもりかわかんねえけど
お前の歩く空が晴れてたらいいな。