いよいよ来年には45歳という年齢になってしまう。
すごいな45。×2で90。うわあもう絶対生きてねえわオレ的な
すでに折り返し感バリバリの気持ちがいっぱいの中で精一杯頑張っているわけですが
4時間眠るとトイレに目覚めてしまい、そして用を足すとそこから眠れなかったりとか
ポマードを手につけてサイドをなでつけるとそこに白い数本のラインが見えたりして
切なさと愛しさと心強さが同居して「な、なんとか目立たなく出来るかな」なんて
悪あがきをしてみたりするのだけども、そもそもそんな近くで誰も僕を見ないわけで。

そんなチキンハートが同居するどうしようもないこういうオヤジに
「どっすか?バンドやりましょうよ」とか「こんな仕事しませんか」なんて
声をかけてくれる年下の人達には本当に最大限の感謝をしています。
リスペクトっつーんすかね?いやマジ感謝っつーか。(←みっともない)

思えば昔、といってもほんの少し前に遡るのだが
「なんで人間、年を取るとああもひねくれてしまうのだろうか」と思う事に
けっこうな頻度で遭遇してきた。

「最近なかなか忙しいんですよ」と社交辞令の言葉をどう受け止めたのか知らんが
それがどうも気に入らなかった様子で「あいつは調子に乗っている」と言われたり
しまいには「そもそもキミのトコのリーダーは外車に乗っているしね」なんて
理解するのに数日を要した言葉を投げかけられたりもしたわけです。
なんですか!先輩なら後輩が忙しくなったら諸手を挙げて喜びなさいよ、とも
思うのだが、どうもそれがああいう人にはとても難しいらしい。

もしかしたらある世代を境に「先輩:後輩」の関係の捉え方が違うのではないかとも
真剣に思ったり悩んだりした事もある。
「後輩とは先輩に対して全てを投げ打って尽くすものだ」という考えの人がそれだ。
「そもそも誰のおかげでお前はそうなれたんだ」というセリフを吐いてしまうタイプ。
しかし得てしてこういうセリフを吐いてしまう人に限って、
本人の妄想だけで勝手に「世話をした」という事が加齢によって加速してる
ケースが多々ある。

「想い出は美しすぎて」と八神純子さんが歌っていたが、そんな程度ではすまない。
いつの間にか一番弟子にされてたりするケースもあるし、
そもそもその人との出会いのシチュエーション自体存分に歪められたりしている。
ていうか、そもそもあなたとは業種が違うんですけど・・・・・何を教わるんですかね。

僕自身は後輩に対してはどちらかというとかなりの世話焼きではあるけれど
後輩が大成功したからといって喜びはすれど妬みはしない、はず。
というのも自分がそういうおっさんの年齢に近づいて来たら
ダース・ベーダーが暗黒面に墜ちるが如く、そういう側面が出てくるのではないかという
想いがここ最近、頭をよぎったりしたりするのだ。

そこで、ふと気づいた事があった。

そうだ。これは影響の双方向化に対して柔軟であればいいのだと。
僕が与えた物によって彼らがそれを違う物に昇華させて、それを見た僕が「すげー!」と
子供のようにはしゃぐ感性があればいい。たったそれだけでいい。

自らを完成したなんて思ってはいけないのだ。
死ぬ間際になって「ああ、あのフレーズ最後まで弾けなかったな」と思えるように。
先輩と後輩だとしても同じフィールドにいる限り、礼儀の部分はもちろんあるけれど
技量の上では素直でいれればそれでいい。
僕はどんな影響も両手を広げて、愛を持って受け入れようと思う。
All I Need is LOVE。愛がすべてさいつだって。
いいよ、どんどん儲けてどんどん外車に乗ってくれて。
僕はカローラが大好きだから。だって世界のカローラだぜ?

もし。
仮にもしおっさんと女子大生の間に先輩後輩という呼び方が適用されて
同じフィールドであれば、技量の上でも素直でいれるはず。

博多弁ならなおさらね。
なんなら全てをさらけ出してもかまわない。