ハナモゲラボ / 試行錯誤の実験人生

日々、PCや各種デバイス、楽器等に翻弄されながら電脳の森をさまよう男の日常と様々な実験をさらりと記しております。

大人が当たり前の大人であるために

October 17 2016

45歳という自分の年齢をふと我に返って熟考してしまう時がある。
45。よんじゅうご。2倍にすると90。きゅうじゅう!
恐らくその年齢に達する事無く、僕は虹の橋を渡ってしまうだろうなという
なんとなく切ない気持ちを胸に秘めているので人生の半分は過ぎたという事だ。

先日のNHK大河ドラマ「真田丸」を見ていた。
九度山に蟄居していた真田信繁が大坂城に行くか行こまいか悩み中に
幼なじみのきりちゃんに「あなたは何を残した?誰かの役に立った?」と
問い詰められてる場面を見て、千のナイフに胸を刺されるような感覚を覚え
そして「いや。私はこれで幸せ・・」と言い返すも
「お前の幸せなんて聞いてねえ」と返された辺りで僕は画面から目を背けた。
見ちゃいられない。もっと優しくしてくれよお願いだから。
だって君は長澤まさみじゃないか。そんな子じゃないはず、多分きっと。
よう知らんけど。

そんな信繁が徳川に一矢報いる為に大坂城に入ったのが47歳の時らしい。
そりゃあ胸が痛むわけだわ。自覚あるもの。色々とね。
半分超えた自覚もあるし大した事出来てない自覚などその他諸々。

年齢からするともう大人には違いないのはあちこちに混じった白い物が代弁してくれる。
あとはもう下っていくだけ。
肌のツヤもハリも瑞々しさも体力も筋肉も夜の回数もオール総進撃で。
そんな中で心がけたいのは当たり前の大人でいる事。これに尽きる。

「一度の人生。誰からどう思われようと好きに生きる!」という理屈も思想もわかる。
しかし、その周りにいる人は最大限の迷惑を被っているという事にまで
想像力が働かなくなるぐらいなら中折れして苦笑いで誤魔化す方がまだマシなのだ。
たとえそれで相手から「もう終わり?」とか罵られてもかまわない、と思う。

失ってはならないもの。それは「思いやり」の心に他ならぬ。
SNSが発達し、誰も彼もが発信出来て、「いいね!」という評価がもらえる昨今
「その向こうには人がいる」というとてもシンプルな事を忘れてしまう大人が多い。

昔取った杵柄そのものが明日を生きていく上での支えとか拠り所になってしまうと
その途端に人は横柄になったり謙虚さを忘れてしまう。
ああ、想い出は美しすぎて。あの日に帰りたい。
案外、人が生きていくのにはそういった幻想が必要なのかもしれないけども
正直な話、それを客観的に見れるぐらいの冷静さを保っていたい。
この年齢まで生きてきて「おっさんの思い出話を聞くのってきっついすわ」という
案外単純な結論にたどり着けたのでは、と僕は思うのだ。

リセットボタンを押しても最初には戻れない。それが僕等の現実。
せめて昨日までの記録は消せるよね、っていう心がけと共に周りの人と歩みたいっす。

当たり前の大人として。

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