多分、誰もが幼少の頃の風景を心に抱いて今を生きている事と思う。
日常に流されても、幼い頃にかいだ風の匂いとかが蘇ってきたり
自分の中のどこかに常にそれは存在しているのだろう、と漠然と感じている。

物心ついた時から目に入る大きな建物。
原子力発電所がある街で生まれ、父はそこで働いている。
クラスメイトの半数以上の親が原発関連で働いている。

探検と称して、その大きな建物に近づこうとして
警備員に怒られたり、迷子になってしまったり。

そんな幼少の時を経て、みんな共に大人になり
気づけば友達のほとんどが原発関連の仕事についた。
子供が生まれて、僕等は気づけば親になった。

・・・・・・みたいな風景を想像、いや、妄想しながら
その街から送られた電気を使って、僕は今この文章を書いている。

僕の育った街には古い大きなガラス工場があった。
中にあった溶鉱炉のきれいなオレンジ色が見たくて、友達と忍び込んだ。
作業員のおっちゃんに怒鳴られながら追いかけられて
まるで怪物から逃げるように、積み上げられた段ボールの隙間に身を潜めた。
友達が見たように話す口裂け女よりも、心霊写真よりも、そのおっちゃんが怖かった。

ある日、その工場の溶鉱炉の火が落ち、ずっと鳴り続けていた機械の音、
そして溶けたガラスをハンマーで叩く音が止まった。
いつも僕等を追っかけてたおっちゃんは、寂しそうな顔をして
「もうお前らともおっかけっこでけへんなあ」と僕等にアイスクリームをくれた。
「なんで?」って聞き返した僕等におっちゃんは何も答えなかった。

それから数週間して、その大きなガラス工場は更地になった。
溶鉱炉も段ボールもおっちゃんも全部消えてしまった。
それが何を意味するのか、まだ小さかった僕にはわからなかった。

このガラス工場が僕にとってどんな存在だったのかが、文章からではわからないように
原子力発電所がある街の風景をどれだけ想像してみても
たぶん妄想の粋を超えることはないだろう。

だから僕は何も言いたくない。
みんな、もう引き返せない所まで来ている事はわかりつつも
ただただ振り上げた拳を落とす場所を探しているだけな気がする。

それぞれの大事な風景と想い出を共有して作り出された電気を
ただ甘んじて受け取って使っているだけの僕に
その街で暮らす人々に向かって、それを今すぐやめてくれなんてとてもじゃないが言えない。

どれだけ想像してみてもたどり着けない風景。
そこで暮らさなければ絶対にわからない風景。

ただ、常に頭に置いておきたいのは
もし、この先こんな国がいやだと思ったとしても
そこから逃げ出すことのできぬ自分の実力を、まず嘆く様にしようという事だ。