以前、ゲームの時間制限を始めたという記事を書いたのです。

制限 ― 残念ながら我が家ではゲーム機の様々な制限を始めました

あれから約半年が過ぎまして、結局我が家の子供達はしばらくゲーム禁止になりました。
父親の自分は未だにゲーム好きですし、PS5もいずれは買うつもり。
ですが、どうしてもちょっとこれはアカンよね、という状態になってしまったので苦渋の決断。

想像力を養うつもりが奪う結果になってしまってた

自分がインベーダーゲームと共に育ってきた世代なので楽しさは身にしみるほどわかってます。
が、決して遊びというものはゲームだけではなかったよな、という思い出も持ち合わせています。
外で遊ぶ楽しさもしかり、長女の今の年齢である小学校5年の際はFMのエアチェックやガンプラ作りもやってました。

それこそ「1日が短すぎる!」という感覚で日々を過ごしていたのは間違いありません。

「1日1時間」というルールで歯止めを効かせれるかな、と思っての制限でしたが
逆にその1時間を終えると「ヒマ過ぎて何をしていいかわからない」と無気力な状態になる事が増えてしまいまして。

勉強すりゃええがな、って親の立場なら言いそうになりますがここは遊びのカテゴリ内のお話。
子供が、いや人として・・・何をして遊んでいいか思いつかない・・・・はアカン。
これはもうゲーム機を与えた側の責任でもあるなととても反省する結果となりました。

考えてみれば昔と違って今は「攻略」なんかも自分で試行錯誤するより、Youtubeで人がやってるプレイ動画が山ほどアップされてます。
自分で苦労するよりも「人がやってるのを見てそれで終わり」って感覚でゲームに触れているみたい。

もし、自分がゲームクリエイター側の立場であるならば、こんな寂しい話はありませんわ。
やっと生み出した作品を自分の手でプレイせずに人のプレイ動画見てそれで「ハイ次」は悲しすぎる。
個人の動画配信が当たり前になった今だからこそ、他人のプレイ動画は「自分が苦労した際の思い出の共有」であって欲しい。

ゲームで遊ぶ、というよりもゲーム機に遊ばれてる感じがしたんですわね。
常々、子供達には「機械は人間が便利に使うもんであって、人間が機械に振り回されてたらアカン」と言うてきたつもりでしたが、ちょっと説明が足らんかったようで(泣

何か別のものを見つけるまで

頭ごなしに「もう禁止じゃ!」という言うのも良くないな、と思って丁寧に説明を。

とりあえず何か1つ、夢中になれる物を見つけて欲しい。
それが読書でもスポーツでもプラモでも楽器でもなんでもよいから。
与えてもらった物をただだらりと消費するだけじゃなくて、自分で工夫したりを楽しめるように。
子供が、いや大人でも同じやけど「ヒマ過ぎてする事がない」というのは非常によろしくないので、それを探す事を楽しめるように。

一生懸命に説明したら、最初は不満げでしたが最近は自転車で遊びに行ったりとか「ヒマ」やと言うことがなくなってきました。
もちろんゲーム禁止ってのは時代に逆行してる側面があるのも理解してますが、やっぱり機械に振り回されるのは良くないなと。
大人でもそんな人、いっぱいいてますしね(笑)
所詮、機械は人間が作り上げたもの。こっちがええように使ってやってナンボやと自分は思いますので。

ゲームが「二つ目の趣味」に降りてきたその時、また一緒にボンバーマンやろうな。

ああ、色々難しいなあもう。