先月23日の京田辺市Drop-in DABADABAでのサウンドチェックを終えた後ぐらいから左胸に鈍痛が。
しばらく座ってたら収まるかな・・・と思ってたんやけどもこれはどうもアカンっぽい。
相方Shinさんに「心臓、ちょっと痛いかも」と告げてから寝転んだり安静にしてても、襲い来る不安感。
「今日はもうやめとこ。救急車呼んでもろてるし」とShinさんの判断により、本番前ではありますが演奏中止を決断。
お店や対バンの人達にお騒がせして申し訳ない・・・と思いつつ自分で救急車に乗り込む。
横になりつつ、救急隊員の人達の質問に答えていく。
Shinさんは付き添いとして救急車に乗り込んでくれた。
置きっぱなしの車や楽器の事が頭によぎったけども、痛みが増してくる心臓に質問に答えるのも面倒になってくる。
「受け入れ先が岡本記念病院に決まりましたんでそちらに向かいますね。20分で着きます」
聞いた事のない病院やけど、きっと以前と同じで即カテーテル手術になるんやろなあ、と。
病院に着いた瞬間、服がはぎ取られ、尿道カテーテル放り込まれ、3年前と同じようにモニターだらけの手術室へ。
前回とは違って左手からのカテーテルでしたが、心臓イジられてる時に自分が起きてるというこのライブ感。
飲んだらアカン薬や何番の動脈が詰まってたか、などは全部このハナモゲラボに記載してあったので、
手術までの質疑応答がスムースに済みました。
で、以前と同じ7番が再度詰まってたみたい。
「今から広げていきますよー」みるみる取れていく痛み。
「あ、先生、痛みなくなりましたわ」「ですよねー。もう大丈夫でーす」
HCUに戻って「前と同じとこが詰まるってどういうことやねん・・・」とか考えてる内に眠ってしまったようで。
翌日からは徐々に数メートルずつ歩いて行く、というリハビリが開始されるという流れでしたが経過は順調。
コロナ禍で一切の面会禁止、外出ももちろんノー。
ワイヤレスで心電図モニタが付けられてるので、エレベーターホールから降りるとバレる(一度怒られた)
8日間は退院出来ない、という事なので週末のジオンはお休みする事になりました。
3年で再度心筋梗塞って事はもう立派な病人なんやな、と。
病院に着くまでに死亡しているケースが多い急性心筋梗塞で、なんとか生き残れたのでもうこれは幸運だったとしか。
「ここはいったいどこなのよ」と思いながら過ごしてたデイルーム。
手術後、6日目にしてようやく1Fのロビーに降りる許可が出た際のスナップ。
コンビニで食べたコロッケパン、死ぬほど美味しかったっす・・・
3年前、スタチンの副作用で歩けなくなったというオマケがついたカテーテル手術。
なので、LDL値が横這いのままズルズルときてたのも再発した原因でしょうね。
もう健康体ではない、という事実と死にかけた恐怖が若くない、という事を実感させてくれた今回の出来事。
きっと色んな事がこれから変わる、いや変えていかないと死んでまうので、色んな物に対する向き合い方が変化するはず。
それは生活、仕事、すべてにおいてやっていかないといかんでしょうな・・・
まだ死ぬわけにはいかんもんね。
あと2時間ほどで退院でい。