毎年恒例のボイストレーニングスクールの発表会のバックバンド、のお仕事を頂き
本日はアメリカ村にあるスタジオにリハーサルに行って来ました。

いつもリハーサルしていた弁天町のスタジオではなく、今年はアメ村。
アメ村なんて来るのはどれぐらいぶりだろう。
もう完全におっさんには気後れする街並みに変貌していました。
いや、変わったのは自分自身なのかも知れませんが(笑)

さて、このお仕事は生徒さんが歌う曲のバック演奏をするんですけども
僕はいつも譜面をチェックした後に、その曲を歌ってるアーティスト、
そしてその曲の歌詞を全て検索して目を通すようにしています。
せっかく向こうからやってくる楽曲とアーティスト、それを知るチャンスを逃すのは
あまりにももったいないからです(笑)

この仕事によりファンになったアーティストもいっぱいいます。
秦基博氏や韓流アーティストのIUちゃんなどはこの仕事を通して知ったアーティスト。

生徒さんの年齢層はとても幅広いので、自分の知識と網では引っ掛けれないものを知れるし
またあまりにも自分の中にない弾き方を泣きながら練習するのも
自分にとって全てプラスになります(笑)

たまに自分が青春時代のど真ん中だったレベッカの楽曲などもあって
譜面見ずにソロなどもサラサラ弾けてとても楽しいんですけども
歌っている生徒さんに「母が好きなんです!」って言われて、あああああああとなる事も(泣)

さて、こうして新しい楽曲、そしてその歌詞に触れて感じる事があります。
それは歌われてる内容が時代によって変化しつつあるな、という事。

ここ10年来の楽曲というのは、ざっというと

「こんな世界に生まれて来ちゃった私はとてもかよわすぎて一人じゃ無理」
「大丈夫、そんな君は一人じゃないよ。僕が私が守ってあげる」

という、悲観的観測がまずベースにあって、その上で特定の相手との
連帯感を強めたい傾向があるんだなと気づきました。
そして歌詞の大半が自分についての分析で占められているのも特徴だなあ、と。

歌は世につれ世は歌につれ、ということわざがあります。
これは、「歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される。」
という意味でなるほどなあ、と思った次第。

自分が高校生の頃、というのはバブル景気まっただ中だったからか、
こういう曲はあまり耳にしなかったかと思います。

あの頃、聴いた曲で今でもすごいなと思うのがThe Blue Heartsの「未来は僕らの手の中」。

くだらない世の中だ ションベンかけてやろう
打ちのめされる前に 僕等打ちのめしてやろう

僕等は泣くために 生まれたわけじゃないよ
僕等は負けるために 生まれてきたわけじゃないよ

この言葉には「この腐敗した世界に生まれ落ちた」事を呪うわけでもなく
それどころかこの言葉にはそんなもんにすら左右されない力強さがあります。

そういえば、このすぐ後に出てきて今でも活躍中のDreams Come Trueなんかも
最初聴いた時には「なんじゃこの前向きな女は」と面食らった想い出が。

Big Mouthの逆襲」という歌があるんですけども
このグイグイ攻めこんできた挙句「こんな気持ちにさせたのは全部お前のせい」と
のたまってその曲を終える図太さがすごいな、と思ったものです。

ただ、最初に聞いた時に「ヒグマの逆襲」って聞こえたので
「あー、そうか。北海道出身だもんなあ」とか思ってたのは今では恥ずかしい想い出。
そんな歌いくらなんでも歌わんやろ。

で、今でも活躍中のドリカムの最新シングルの歌詞を検索してみると・・・
さぁ鐘を鳴らせ」←歌詞

ああ、なるほど。
やっぱり最新の歌詞、というかニーズを取り入れてるんだなと思いました。
「~しかない」という言い方、そして散りばめられたネガティブ表現。
とても興味深いですなあ。

歌は世につれ、ってのはわかりますけども、世は歌につれってのは
よく考えたら怖い事なんじゃないでしょうか。
こういう歌が出回りすぎると、世の中もそういう風になってしまうって意味もあるのですから。

自分なんて鏡覗いたらそこにいるんですから、それについてあれこれ悩むのは
僕には実は全然理解が出来ません。
「恋人にフラれた夜に部屋の電気消して、ずっとその曲を聴いてた」なんて話を聞くと
「その曲が入ってるカセットを探してリピート設定してから電気消す余裕があるんだな」
と、まだまだ余裕あるやんお前としか思えないのですよ。
本当に悲しけりゃなんにもする気が起きません。
まだ傷ついた自分に酔える余裕があるっていいじゃない。なんだって出来るよ多分。

自分の子供たちには力強い歌を好んだり、歌ったりしてほしいです。
それがどんな時代のものでも。