仕事から帰宅して風呂に入り、残った昨夜の晩飯の鍋を空けちまうかあ、と朝食。
何気なくテレビをつけたら「大下容子ワイド!スクランブル」が放送されていた。

そこで紹介されてたのがモアイング代表の本間有貴さん。22歳の社会起業家である。
日経のサイトに彼女のインタビュー記事があった。

22歳リケジョの社会起業家 「奇跡の木」で命助けたい
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO71357750W1A420C2000000/

以下、上記のサイトから引用する。

初めて耳にする「ソーシャルビジネス」という概念、そして同時期にたまたま出合ったモリンガ。生息分布をみると栄養失調問題を抱える国・地域と重なる。モリンガの認知度が高まり、販売に回せない余分な葉などを現地の人たちが食べる習慣がつけば、途上国の栄養状態を改善できるかもしれない――。

本間さんが掲げる理想のビジネスモデルはこうだ。まず、モアイングが日本市場でモリンガを使った食品を販売し、十分な量のモリンガを買い取れる体制を構築することで、現地の人に「モリンガを育てればもうかる」と知ってもらう。育てやすい農作物であるモリンガは、途上国の農家がすでに持つ土地や農業スキルを生かせる。モリンガ農家が増えれば、余った葉や少し悪くなった部分を農家が消費する習慣が広がる。現地の食生活の中にモリンガが入り、栄養状況が改善していくはず。目指すのは、現地の生産者と買い手の両方がウィンウィンの関係でいられる、持続可能なビジネスだ。

飯を口に運びながら、22歳の若者達がここまで考えて行動している事に思わず唸ってしまった。
ふと頭によぎった自分の28年前 ― ちょうどあの阪神大震災が起こる前である ― の行動を思い返すとなんとも言えない感情が。
アホ丸出し、としか言い様がなかったもんなあ・・・・あの頃は。

いや、50を超えた今となっても、社会全体の事は頭に浮かぶ事はあったとしても、それを何とかしようなんて発想に至らない。
それこそ自分の周りだけでいっぱいいっぱいである。

すごいなあ、うまく行って欲しいなあ・・と思いながら飯を食い終えてテレビを消した。
その足でデスクに向かって、色々と検索して調べて彼女たちの活動を深く知った、という流れ。

ネット界隈でのたくいながら細々と飯を食らっているからか、色んな人をネットの海で見かける。

示された出典の英語も読めないのに陰謀論にまんまと乗せられた人、だとか。
コロナ禍において様々な人が試行錯誤している中で、それをバカにするような物言いをする人、だとか。
他人の判断を自分より上か下か、としか見れずに攻撃的になる人、だとか。
「世界は自分達を陥れようとしているに違いない」という視点からしか物事を見れない人、だとか。
想い出、昔話、過去のちょっとした栄光だけを繰り返して、現在の足元が全く見えていない人、だとか。

同じ大人でありながら、日々の積み重ねの角度が少し違うだけでここまで変わってしまうんやね。
たった1°の角度が、数キロ先だととんでもない差がつくのと同じやね。

今さら俺も社会起業家を目指すぜ!なんて事は思わないし、自分が出来た人間だとも思わんけども
呼ばれたからには、持てる全力でそこに貢献する姿勢はずっと持っていたいもんですね。
過去は振り返らず明日だけを見て。そして他人のやってる事にはおおらかに、を心がけつつ。

こういう気持ちになった時に思い出す歌詞があります。
1986年、自分が15歳の時に聴いた佐野元春の「Cafe Bohemia」に収録されている「虹を追いかけて」の一節。

「見せかけの輝きはいつか錆びていく 出来る事だけを続けて行くだけさ」