近所というネットワーク内では様々なストーリーが耳に入ってきます。
色々な問題を抱えるのは生きていく上で仕方ないとは言え、
いつも寂しそうに一人遊びしていた子をここ最近見なくなった、とかを
目の当たりにしてしまうと大丈夫なんかな、と思ったり。

中には日曜日以外、お父さんと会った事がないし
子供が抱えている問題をお父さんが知らない、という所もあるようで
俗に言う「緑の紙」にお互いサインしたまま数年間持ち続けているとの事。

そこまでして何の為にその形を保ってるのかなあという疑問もありつつ
それがいわゆる「最後の砦」みたいな物になってるんだろうなという
ちょいと自分の単純な性格からして理解がとてもしにくい。
そこまでなってるのならそれぞれ一人で生きていく覚悟をした方が
子供達にとっては絶対その方がいいと思うんだけどなあ。
「そんな簡単なもんじゃない」と言われたらそれまでなんだが。

そういう状況になるもっともっと以前は
そんな事になるなんて、思ってもいなかったろうし
その時の気持ちってもう取り返せないものなんだろうか。

ギターという物に触れ、指から血を流す事すら楽しんできた自分にとって
最初にFコードが鳴った時のときめきと喜びは今でも思い出せる。
最初にギャラをもらった時のステージのセットリストは未だにファイルに貼ってある。
「ああ、キツいな」と思った時にその消えかけた20年前のリストを見ると
「いかんいかん、この時は心から楽しんでたやんオレ」と気持ちが当時にリセットされる。

初心忘れるべからず、はこういう事だというのを身体で理解してるせいか
全ての事にもこれを当てはめるクセがついている。
これって自分にとってはとってもありがたい事なんだな、と改めて思うわけです。

それは家庭を運営していくという事においても同じ事で
自分の気持ちばかり優先させてしまうと、最初の頃の思いやりも消し飛ぶ気がする。
パートナーの悪口を聞かされた後に自虐的に「私も悪いんだけど」という話の流れの中に
それを見せられる子供達への思いやりはどこへ?と思ってしまうんですな。

所詮、人の家の事ですから他人には完全に理解出来るわけでもないし
自分達には全く関係のないお話ではありますが、今からでも遅くはないから
やっぱりもうちょっとお互い歩み寄れんもんかいねえあそこは、というお話を
子供達が寝た後に嫁さんとしてた日なのでした。

なんの喜びもない日常がただ単に過ぎて行くだけの中
あの時の気持ちを思いだして、というのはARBの「灰色の水曜日」で
歌われてたテーマと全く同じですな。

さあ想い出して 愛し合ってた頃を
真剣なまなざしで見つめあってた頃を

https://www.youtube.com/watch?v=Tev227fsNKI