思えば2010年に第1話が初めて公開されて最終話の7話が2014年5月公開。
1話はすぐに見たものの、そっから先はなんとなく見るの忘れてて
「ああいつかは見たいな」と思ってたのですが、ようやく腰を据えて全部見終えました。

自分は子供の頃にあの「ガンプラブーム」の洗礼を受けて、
再放送の1st、そして劇場版3部作をセリフが頭に入るぐらいに何度も何度も見返した後、
続編である「機動戦士Ζガンダム」の本放送時(1985)はすでに興味を失っておりまして、
13年ぐらい後の26歳あたりでようやくビデオでえっちらおっちらと全話見終えました。

そしてそのすぐ後に劇場版の「逆襲のシャア」をビデオで借りて視聴してヒートアップ。
OVAである「08小隊」「0080ポケットの中の戦争」「0083スターダストメモリー」と立て続けに
見まくったけども「機動戦士ガンダムZZ」は雰囲気が違いすぎて面食らってまだ途中、という
完全なるヲタなのかヌルいファンなのか自分でもよくわかりません(笑)
あ、小説など活字作品は一切読んでませんからヌルファンなのかな。

「W」とか「G」とか「SEED」とかその辺はまったく興味がないので
いわゆる「宇宙世紀シリーズ」の時間軸の中でないとダメなのでしょうね。
子供時代、そして迷える20代~30代とガンダムと共に過ごしてきたのは間違いありませんw

この「UC」は今まで最終作品だった「逆襲のシャア」の3年後を描いたストーリーで
今まで続いてきた「地球連邦軍」と「ジオン公国」の抗争にようやく終止符がつきます。

ただ自分ももう43歳といういわば「いい年したおっさん」であり
昔と比べて例えばロールプレイングゲームの「レベル上げ」という作業に
意味を見いだせなくなっていたり、隠しキャラ全部出すみたいな遊び方も
出来なくなっており「ま、ストーリーだけ把握すればいいや。時間ないし。」と
「あの頃」とは何かが変わってしまっている事を自覚しとるわけですよ。
それを「大人になった」と言うのかも知れませんけども。

そして今や結婚して家族を持ったという自分の大いなる変化と共に
この「機動戦士ガンダムUC」という作品にじっくり向き合ってみるとですね。
主人公の少年、そしてヒロイン(共に10代)に共感するという感じではなくて
その周りで色んな事に巻き込まれながらなお強く生きるおっさんキャラ達に
とめどなくシンパシーを感じてしまうわけなのですよ。

この「UC」自体がおっさんファン達に向けての作品なのはビジネス上当然なのでしょうけど
あまりにもおっさんキャラ達が人間臭く描かれているもんだから
DVDの巻が進むにつれて、もうその言動にガスガス引き込まれていくわけです。

たとえば子供や独身の頃なんて「戦争中に妻と娘を殺されその復讐の為に立ち向かう」
なんて設定は「ふーん、なるほど」ぐらいのいわゆる記号にしか過ぎないのは仕方ありません。
が、それが今となってはそんな設定がもう身を切られる様な気持ちになってしまうのですな。

「たとえどんな結果になろうと可能性を信じたい」という若者の想いに対して
「どうせ何をやっても無駄だ。今までだってそうだった。だからそれを利用するのが最善」という
利害を最優先する大人との対立という最終話の図式も今ならどっちの気持ちもわかります。

「お前はお前の役割を果たせ」と主人公に告げる大人達のセリフに
とてつもない重みを感じてしまうようになったのは、自分も少しは大人になったという事
・・・・なのかもしれません。

主人公達の選んだ結末に清々しい物を感じてしまったのは
もしかしたら「子供にはこうあって欲しい」という自分なりの親心だったりするんだろうか。
そう、途中から完全に親が子を見る目線で主人公達を見てた気がします。

ずっとガンダムと共に育ってきた自分にとって、
この作品の結末の付け方はとても納得のいくものでした。
またじっくりと全7話を見返したいなと思います。