昨年6月の「大人の文化祭」の時に対バンだった「ToBeサクセション」さん。

安堵 ― 約5年ぶりの「大人の文化祭」

Voの新谷さんに「ギタリストとして混ぜて頂けませんか」とお願いしてからようやく初のライブでした。

今回演奏した曲は以下

  1. JUMP
  2. よォーこそ
  3. 毎日がBRAND NEW DAY
  4. 君が僕を知っている
  5. チャンスは今夜
  6. ブン・ブン・ブン
  7. ドカドカうるさいR&Rバンド
  8. 雨上がりの夜空に

1と3はRCサクセションが活動停止後の清志郎のソロ作品ですが、今回のライブをやる際に初めて原曲を聴きました。
それ以外はそれこそ高校の時に聴きまくったナンバーばかり。

まさか50を越えた今になって、仲井戸ポジションでの演奏が叶うとは思ってもなかったです。
もちろんめちゃめちゃ楽しかったのは言うまでもない。
「ドカドカ~」のリフを弾き始める時の気持ちなんて、それはもうまさにカタルシスってなもんですよ(笑)
30数年の時を経て、ようやくこのリフを奏でられるわけですからw

思えば高校生活3年間はずっとRCと共にありました。
高校に入学したのが1987年。
その1年前にギターを始めたばかりだったので「軽音楽部に入ってバンド組むぜ~」と意気揚々な15歳でした。
ちょうどBOØWYが「Only You」をシングルカットしたのが1987年の4月。
なんとか「B.Blue」は弾けるようになってたぐらいの頃かもしれない。

放課後に軽音楽部の部室に行ってみると、入部希望の1年生がたくさんいました。
たった1年しか弾いてない自分より弾ける人はそりゃたくさんいてますわね・・・・
バンドブームだったあの当時、ギターは人気楽器だったのでギター希望者はたくさんいました。
「ギターはまだ買ってません。でもそのお金は用意してます」ってやつが、部長によって無理矢理ベースに割り振られる悲劇。
しかし、ドラム希望者が全くいないという現実に業を煮やした部長は

「このままじゃバンド組めないので入部希望者全員、ドラムで8ビートを叩いてみてくれ」と。

ぎこちないながらも叩けてしまった自分は「じゃあ、お前明日からドラムな」といきなり辞令が出る。
「えー・・・・」と思いつつも部活という性質上それも仕方ねえのか・・と。

ちょうどその時、隣に座ってたキーボード志望という男に声をかけられた。
「どんなバンド好きなん?」「え、いや元々はギターでBOØWYコピーしててんけどなんかドラムやれって・・」
「BOØWYええな!やろやろ!」
え、BOØWYってキーボードいらんやん・・・と思いつつも、ギタリスト志望の別の男とも話が弾む。
これでこちらはギター、キーボード、ドラムの3人となった。

そして別の3人組から声を掛けられる。
「あ・・・さっきベースに無理矢理割り振られてたヤツがおる・・・」と思ってたら、その3人組はギターVo、Vo、ベースの3人組だった。
「そっちはパート何?」「ギター、キーボード、ほんでドラム」
「うお、ちょうどお互い足らんもん同士やん!」
「ほんまやな!こっちはBOØWYやりたいなー思ってんねんけどそっちは?」
RCサクセション!

恥ずかしながらこの時、RCサクセションの音楽は全く知らなかった。
うっすら覚えてるのは忌野清志郎と坂本龍一の「い・け・な・いルージュマジック」。
なんやけったいな人らやな、というイメージしかなかったが、その6人でBOØWYとRCのコピバンをやる事になったのでした。

しかし、その年1987年にBOØWYは解散宣言。
その6人組はやがてRCサクセション1本のコピバン活動になっていくのでした。
高校3年間は常にその6人でなんぞしてた想い出があります。
Yanta鹿鳴館、阪急ファイブオレンジルーム横のAスタジオ、服部緑地野外音楽堂・・・・
どっかの盆踊りでも演奏したっけな。

RC本体は自分達が高1の冬にちょうどダブルアルバムの「MARVY」をリリースした時でした。
その時の「TOURS MARVY」大阪国際交流センターが初めてRCを観たライブ。
チャボの奏でる「Midnight Blue」から始まったのを未だに強烈に覚えております。

そこから「COVERS」「コブラの悩み」を経て、1990年に「Baby a go go」をリリースしてRCは活動停止。
Gee2woや新井田さんが抜けた後のライブを観たのが1990年12月16日の大阪厚生年金会館らしい。
もう自分は社会人になってて、バンドどうしよかな?って時期だったのでとても寂しい気持ちで観たな・・・

それなりに高校3年間、真面目にドラムにも取り組んだおかげか、勉強になったのは確かです。
好きなギタリストと同じぐらい好きなドラマーもいたりするのもきっとこの経験のおかげ。

その軽音楽部の6人で最後に音を出したのも1990年だったかもしれない。
始まりはマンガみたいだったけども、終わりはなんとなく自然消滅。
青春の終わりとはいかんせんそんなものだったりするのだけども、きっとあの時のようにはもうドラムは叩けない。
たまにゲーセンで「ドラムマニア」を思い出したようにプレイする程度。
あの時、部室で陽気に声を掛けてきたキーボーディストとは今でもたまに一緒に演奏するけど、他の4人とはあれ以来会えてない。

そこから30数年の時を経て、RCのナンバーをギターで奏でるというのは、自分にとって何か大事な忘れ物を探しに行くような感覚なのかも知れません。

ギターサウンド作り

RCのライブ盤といえば「RHAPSODY」という人も多いですが、自分が一番好きなのは1986年のライブアルバム「the TEARS OF a CLOWN」

the TEARS OF a CLOWN

the TEARS OF a CLOWN

RCサクセション
¥1,509(as of 12/07 19:49)
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ギターロックというより、どちらかというとコンテンポラリーなミックスであんまりギターが目立たんのですがこれが良いのですな。

ウィルソン・ピケットの「In The Midnight Hour」から始まるこのアルバムですが、この曲を初めて聴いたのがRCでした。
そこからオーティス、サム&デイブと古いSoulを聴き始めるきっかけになったのを覚えてます。

この曲でチャボはどこのメーカーかわからんようなストラトを弾いてますが、自分の記憶に間違いがなければ当時のギターマガジンのインタビューで「なんとなく楽器店の前にぶら下がってた適当なヤツを買って持っていった」と言ってました。
そのせいなのか若干頭がつぶれたようなサウンドですが、それはそれでとても味があって自分は大好き。

この音を参考にプリアンプはTwo-Rockのモデリングで軽くクランチ気味にして、TS808でブーストを基本にしました。
自分の赤ストラトはリアがシングルサイズハムなので、ピックアップの切り替えと手元のボリュームでニュアンスは変え放題。

次はなんかでフェイズでも使ってみたいな、と思ってます。