シネマコレクション by KADOKAWA加入者特典として1981年の「悪霊島」も見ました。
この映画、実は過去にVHSビデオで一度だけ見ています。
映画が見たかったのではなくて、ビートルズの「レット・イット・ビー」がどんな使われ方をしたのがが気になったのです。

この映画はビートルズの「ゲット・バック」と「レット・イット・ビー」が使用された事で話題になったそうで。
なったそうで、という書き方をするのは当時小学5年生だった頃の自分はビートルズを知らなかったから。

思い出の時系列を整理すると、自分が洋楽を聴き始めたのは1980年初頭。
ザ・ナックの「マイ・シャローナ」、キッスの「ラヴィン・ユー・ベイビー」、スーパートランプの「ブレックファスト・イン・アメリカ」を親戚の兄ちゃんに聴かせてもらったのがきっかけでラジオを聴き始めました。
いわゆる、その当時の流行モンだけを追っかけてるってやつですね。

ポール・マッカートニーはちょうど「カミング・アップ」をシングルとして発表した頃。
そして12月、ラジオから「スターティング・オーヴァー」が流れまくって、ジョン・レノンが射殺された事を知る。
しかし、この2人が10年前までビートルズというバンドをやっていた事を知らなかった。
それがどんな大事件だったのかも全くわかりませんでした。
そらー、知りませんもん。仕方ないですわね。

その翌年の1981年にこの「悪霊島」が公開。
角川映画ならではの大量CMが「鵺の鳴く夜は恐ろしい」というフレーズと共に「レット・イット・ビー」がテレビから流れてました。
ちょうどサビの部分がCMで流れてましたし、こういうのも流れていたようです。

この時、こういう怖そうな映画をわざわざ見に行くわけもなく、そのままスルー。
時は流れて中学1年、音楽の授業で「イエスタデイ」を習った時に
「作詞:ジョン・レノン、作曲:ポール・マッカートニー(厳密にはポール1人で書いた曲)」と書かれていたのを見て
「え!この2人って一緒に活動してたんや」とここで初めてビートルズを知る事に。

そしてビートルズのベスト盤で「レット・イット・ビー」を再び聞いた、という流れ。
その時は「あ、これ『悪霊島』のアレやん」というぐらいの感動でしかなかったんですけども(笑)

リアルタイムでビートルズを聞いていた人にとってはきっと複雑だったんちゃいますかねこれ。
今の若い子が氷室と布袋がBOOWYというバンドをやってたのを知らないのと同じ感じなのかな。

この「悪霊島」映画冒頭はテレビニュースで「ジョン・レノンが射殺された」という場面から始まります。
その1980年12月から回想シーンとなって、1969年の事件へと物語が進行していくのですが
だからこそビートルズの曲をそのまま使いたかったんでしょう。

ところがこの「悪霊島」。
ビデオソフトや初回のテレビ放映時はビートルズのバージョンを使ってたのですけども、契約の問題でDVDソフト化する際にカバーバージョンに差し替えられてしもてるんです。
物語途中で流れる「ゲット・バック」はビリー・プレストンが歌うバージョン。

このバージョン、さすがにビートルズと一緒に当時レコーディングしてたビリーだけに「愛がある」カバーに仕上がっていて、劇中で流れても全然違和感はありませんでした。

問題なのはエンディングの「レット・イット・ビー」。これはレオ・セイヤーのカバーバージョンに。

おい、これはアカンやろ。

「レット・イット・ビー」は映画のエンディング、島で惨劇が終わった後でそれぞれの人物が島から去って行くバックに流れます。
濃密な時間を共に過ごした仲間が去って行く際、言葉を交わすこともなく次の場所へ向かっていくというのがビートルズの終焉とオーバーラップするからこそ、「レット・イット・ビー」に合わせてこのエンディングを作ったんやと思うんですね。
特にパトカーの中から古尾谷雅人が「金田一さん!」と呼びかけるも金田一には聞こえずというカットがええんですよ。

冒頭にわざわざジョン・レノンの死亡ニュースを入れたのも、きっとこのエンディングと対だったからこそなんやろなあ。

もうね。自分で勝手に音声差し替えて動画作ったろかなと思うぐらいにこの差し替えバージョンはあきませんわ。
これも大人の事情、ってやつですかね。
当時でも曲の使用許可だけで2000万円近く支払って、CMに使ったらCM使用料も後から請求されたそうで。

きっとこれは元のバージョンはずっと出ないんやろなあ。
あと、曲の歌詞が焼き込みで画面横に出るようになってるのもダメですな。
VHSで見た時は歌詞なんて出てなかったんですけどね。
あれはオンオフ出来る様にして欲しかったです。邪魔ですもん。