ハナモゲラボ / 試行錯誤の実験人生

日々、PCや各種デバイス、楽器等に翻弄されながら電脳の森をさまよう男の日常と様々な実験をさらりと記しております。

どれだけ長い事海を見てないのかをふと考える

April 08 2013

このハナモゲラボ自体が森の中、というデザインコンセプトなもんで
普段の生活もどっちかというと山寄りの生活なんですよ、ええ。

そういえばもうどれぐらい長いこと海を見てないだろう。
今年は里帰りしなかったんで、瀬戸内海を見てないし
姫路への仕事の時も、わざわざ山寄りのコースを自ら選んで走っているし。
少なくとも2013年は一度も海を見ていない。
ブログを毎日書いてるのでそれは確実。

海が見たくなったんだ、とふらりと車に乗って出かけて
「うっわー、さっむ!むっさ寒い!」とぶるぶる震えながら帰ってきて風邪引いた、みたいな
アホな若者時代もありましたけれども、もうあんな事ってしばらくは出来ないんだろうなと思う。

2年前かな確か。
震災で卒業式が中止になり、その代わりにメッセージを掲載したのが話題になりました。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

このメッセージ、僕はとても感銘を受けたんですけどもこの中の

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

というのは確かにそうだよなあ、と思うんですな。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

確かに嫁さんに胸はっては言えませんわね(笑)
僕は大学には行ってない(それどころか仕組みもよくわかってない)けども
この「大学」というのを「若さ」に置き換えても納得だよなあと思うわけです。
好きな時に好きな行動が出来たわけですし。
ガソリン尽きるまで北に走る!とか言うて、夜に日本海沿い走ったりしてたもんなあ。

しかし、「今は行けない」というのを「家庭があるせい」と短絡的にとってはダメ。
もし自分に置き換えてみて「今日海に行ってきた」と嫁さんに告げたとしても
「へええ、よかったなあ」と言ってくれるだろうという確証はあるんです。

でもなぜ言わないか、というとそれは相手への思いやりですよね。
これを「不自由」と取ってしまう人って、恐らく自由を手に入れたとしても
何一つ出来ないし、何も残せないような気がします。

今は一人で動くよりも、同じ物を共有したい相手がいるので
そっちが優先されるだけの話。

正直、一人ならもっとムフフな事がいっぱい・・・・・ん?誰か来たようだ・・・

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