「髪を切った私に、違う人みたいと」と松田聖子は歌った。
鏡の中に映る僕は確かに髪を切った。いつもよりもかなり短く。
3ヶ月間、放置した髪はものすごいボリューム感と共に異様な存在感を示しており
行き所のない襟足は娘(6)をして「エビフライだ!」と言わしめるほどだったが故。

なのでいつもの美容室でばっさりと。
しかし、直毛すぎるほど直毛なのでそのまま切ると板前さん、
もしくはビーバップ・ハイスクールのノブオくんなのでうっすらパーマ。

髪の毛が示すほどのまっすぐさはこれまでの人生において
何一つ示せてない事はこのブログを読み返すだけでわかるのだけど
この「うっすら」という中途半端さもいかがなものか、と思う。

とはいえ、極端にアフロにする心意気もないし、そんなファンキーさを身にまとって
自治会やママ友の中に笑顔で「Hi!」などと飛び込める図太さもない。
ロックンロールなどとのたまってみても、圧倒的に生活という枠組みの方が長いのだ。
毎日行くスーパーでその中の誰かに出会わない日などないという日常の中で
はみ出す事の愚かさにようやく気づける年齢にはなった気がしている。

これまでさまざまな色にして痛めつけてきた髪の毛を真っ黒に戻したのは
地域の福祉委員会に初めて参加した翌日だった。
俯瞰してその光景を天上から見つめるが如くの境地に立ってみると
なるほど、いやあ、ダメだなあれはという浮きっぷりでした。キツいっス。
大戦前の日本であれば国際連盟から抜けているレベルのキツさに
リットン調査団もびっくりである。

しかし、そんな日常の合間にも保たなければならないバランスがあるのも確か。
そこで生まれた苦肉の策がうっすらパーマ。
そう、うっすら。軽め。
出来るだけ前向きに善処したいと思います、みたいな着地点の見つけ方も
自分なりのロックンロールの形。
自由であるべきだ、オレはオレの道を行くなんて口に出来た日々は遙か遠く。
いや、そんな事言ったの一度もなかったです、ごめんなさい。

わかり合えない事を嘆くよりも、わかり合えない事をわかる方が
生きやすい事に気づくまでに時間がかかりすぎたのだ。
ポジティブに諦める。それこそが地域の平和と「○○ちゃんのパパ」という
側面での平和を守る事に繋がるのだ。

と、そんな難しい事を別に考えてるわけでもないんだけど
ここ最近、白髪が増えてきたわけですよ。しかも中途半端に。
ヘアカラーでは白髪が染まらない、そんな事実を知った時から
白髪染めを愛用中。
どうせなら一気に真っ白になってくれりゃいいのに、うっすら白髪。
ああ、もううっすらにはうんざりだよ。

見慣れない服を着て君が今出て行った、と歌った大沢氏に
その見慣れない服とはなんだという問いかけをするように
「髪の毛短くしたんやけどどう?」って娘に聞いたら
前の方がよかった」ですって。

そして、僕は、途方に暮れる。

FOR BEAUTIFUL HUMAN LIFE.

https://youtu.be/jT_HDzgcXD8?list=RDr9MmuGV5QAQ