佐久間正英、という名前を意識したのは多分BOØWYの3rdアルバムの
「BOØWY(通称ベルリン)」を聴いた時だと思う。

このアルバムはBOØWYの転機になったアルバムで、
前作「INSTANT LOVE」からはガラリとサウンドが変わっている。

当時、佐久間氏はUP-BEATというバンドも手がけており、
「ONCE AGAIN」という曲を僕はとても気に入っていた。

こうやって聞いてみると、佐久間氏が手がける音楽には
「佐久間節」とも言えるものがあるように思える。
最初、僕はGLAYを聴いた時には真っ先にこのUP-BEATを思い浮かべたぐらいだ。
もしUP-BEATのトリビュートが発売されるなら、
ぜひGLAYにはこの曲をやってほしいと今でも思っている。

佐久間氏は古くは四人囃子というバンドでも活躍していて
プロデューサーとなってからは、先のBOØWY、UP-BEAT、
後のJUDY AND MARY、Hysteric Blue、そしてGLAYと
よく考えてみれば、全ての世代の音楽ファンに影響を与えているといっても過言ではない。

最近では知人のドラマーと新しいバンドを組んでいたりして
その名前は僕にとってはけっこう身近なものになっていた。
Twitterでの発言や問答の丁寧さ、そしてブログの文章などに触れて氏の音楽に対する
なんとも真摯な姿を垣間見て、とても感銘を受けていた矢先の昨日の発表。。

http://masahidesakuma.net/2013/08/goodbye-world.html

2013年4月上旬自分がスキルス胃ガンのステージVI になっている事を知る。今年から小学校の一人娘の入学式前日の出来事。

発見段階で医師からはすでに手の施し様はあまりない事を聞き(発見された転移部位の問題もあり)、手術や抗がん剤等積極的なアプローチにはリアリティを感じなかった。
かと言って、まるまる放置も釈然としないので、すぐに丸山ワクチンと中国漢方だけは始めてみた。
しばらくすると丸山ワクチンの効果か漢方の効果か、それ以前と比べると格段に体調は良くなり気力も増した。それまで感じていた胃の不快感も弱まり、自分が末期癌だなどとは時折冗談のようにすら感じた。
それでもひと月ちょっとの間に体重は10kg減っていた。

余命をリアルに考えはしなかったが、ごく近しい人達には状況は伝えた。

この件は公にはすまい、と思った。何故ならこの話は救いの無い情報に過ぎないからだ。人に知られるのが困る訳でもイヤだった訳でも無い。ただ救いの無い情報が受け手に与える”力”が怖かった。

現在61歳。正直音楽家としてはまだまだこれから、という年齢でのガン発覚。
この記事は4月のガン発覚以降、昨日までの事が非常に淡々と語られている。

その中で僕が一番心を打たれたのは以下の部分。

いつ死ぬかはわからない、でも確実にその死は一歩一歩近づいて来る …と思うと、実はそれは誰にでも当てはまる当たり前のことでしかない。自分の余命はそういう意味ではみんなとあまり変わりはない。そんな風にも考えた。
癌などと言う厄介な病気になってしまったが、冷静に思えば突発的病気や事故等に会うよりは、人生を振り返ったり改めて考えたり、大切な人たちの事を思ってみたり、身辺整理の時間を持てたり、感謝の心を育てられたり。案外悪くはないのかもしれない。

一人娘がこれから小学校にあがる、というそんな時に余命宣告に等しいガン発覚。
もし自分がそうなった時、ここまで透明感あふれる気持ちになれるんだろうか、と。
それとも本当に死が自分にとって近いものになった時、人はこんな境地に立てるのだろうか。
「案外悪くはないのかもしれない」なんて言葉が自分から出てくるんだろうか。

自分自身、肘部管症候群で左手が痺れ始めた時には
「あと何回ステージでプレイできるかな」なんて事も考え始めたけれども
それは所詮、「先の見えないカウントダウン」にしか過ぎない。
まだ見えない漠然とした終わりの日をほんの少し意識しただけのそんな覚悟。
もしかしたら残りの日々はそんなにないのかもしれないけれども、
いずれはなんとかなるだろう、という希望的観測で乗りきれてしまう。
それが直接死につながるわけではないのだから。

自分は演奏家で、ギターをベースをその他の色々な楽器を弾く。そんな人間がもしかしたらもう二度と今までのようには演奏できない身体になる可能性もある。弾けることが当たり前に生きて来た人間にとっては何とも奇妙な感覚だけれど、悲しい気持ちや悔しい気持ちは全く湧いては来ない。今まで自分の演奏に絶対の自信を持って悔いなくやって来たと思える自負からかも知れない。いや、もしかしたら、音楽よりもずっと大切な何かに初めて向き合っているからかも知れない。

当たり前にやってきた事が当たり前に出来なくなりつつある時に
どうしてこんな事が言えるのだろう。僕はそれが不思議でならない。
自分なら絶対に「なんでオレがこんな目に」って泣き言を言い、
そしてヤケになって全てを放り出してしまうかも知れない。

佐久間氏が書いてるように
「自分の演奏に絶対の自信を持って悔いなくやって来たと思える自負からかも知れない。」
と、真摯に目の前の事に取り組んで生きてきた日々があるからこそなのだろうか。
ふと自分に置き換えてみた時に、明日が来る事を至極当然の様に思ってた事が
とてつもなく恥ずかしく思えてなりません。

佐久間氏は14日に手術を受ける事にしたそうだ。
いかに生きていかに死ぬか、そんな事を考えなおすきっかけをくれた事に感謝しつつ
手術の成功を心からお祈りさせて頂きます。