元来、ディズニーものにはあんまり興味がないし縁もない。
ディズニーランドには会社員時代に「報償」としてたった一度行っただけだし
各種キャラクターにはゲーム「キングダムハーツ」の中で出会ったぐらい。
そしてあの映画「パール・ハーバー」における日本側のあまりにいい加減な描写に
組織としてのディズニーになんとなく嫌悪感を感じるぐらいではある。

しかし最近、ラジオを聞いててもどこかのお店に入っても、
それこそチビ達を迎えに保育園にいっても「ありの~ままの~」と聞こえてくる。
最近では珍しいほどのメガヒットとなった「アナと雪の女王」の主題歌である
「レット・イット・ゴー~ありのままで~」が空前のヒットを記録しているのだ。
なんといってもサントラCDが20週連続TOP10入りするのが
あの1984年の「フットルース」以来って事らしいので、あの当時の
サントラブームを知っている人達からすれば、これがどれぐらいすごいのかが
わかるってもんである。

僕は先にこのサントラ盤を配信で聞いていたのだけど、まずびっくりしたのが
神田沙也加の歌、そしてセリフのアテレコがあまりに上手すぎる事でした。
鳴り物入りでデビューしてからミュージカル方面に行ってたのはなんとなく知ってたけど
ここまでの実力があったとは・・・・・

そして「レット・イット・ゴー」。
なんとなくこの訳詞に胡散臭い「自分探し」的なスピリチュアル臭を感じていたのだ。
そもそも「Let it go」というのはビートルズの「Let it be」と同じように
ある種投げやりな意味を含んでいるので、それがなんで「ありのまま」になるのかが
よくわからなかったんである。
こればっかりは映画を観ないとわかんねえだろうな、とこの度映画を観てみた。

映画でこの曲は、ずっと魔法を隠し通してきた女王エルサが民衆にその力を持ってる事がバレて
たった一人雪山に逃げ出した場面で歌われる。
何もかも失ってどん底に落ちた人間が歌い上げる「解放」の宣言とも言える場面で
この曲を歌いながらエルサは自分の城を築き上げるのである。

なんで松たか子は「な!に~も~こ~わ~く!な~い~」とリキんでんだろと思ってたら
魔法を出すタイミングがちょうどここに合わせてあるんだなと納得。
ここらへんは翻訳版をもおろそかにしないディズニーの拘りなのかな、と(笑)

でも、やっぱり「ありのまま」という言葉の選び方には違和感を感じるなあ。
この場面は「圧倒的な力を持った人が他人の目を気にする事をやめ一人で城を築く」シーンで
どっちかというと「もう放っておこう、あんな人達の事は」という感じに見えた。

「ありのままの私を受け入れて♪」とかよわい女の子が歌うというよりは
ワンマンおっさん社長が「周りの言う事なんか知るかボケー!」とジャイアン的な
強権発動をしながら自らの城を築き上げるというある種ワガママ全開シーン。

社会との関わり、そして人格形成において「ありのまま」という言葉は
なんとなく胡散臭いし、馴染むための努力を放棄するためのキーワードとしても機能する。
ありのままの自分を見せた所でなにも実績がなければそこで終わってしまう。

力があるからこそエルサは一人を選んだし、社会との関わりを放棄した。
しかしその場面ですら彼女の成長のプロセスなわけで、比較的映画の序盤でこの場面は出てくる。
力をコントロール出来ないが故に一人の世界に浸るしかなかった彼女は
映画の最後にはちゃんと自分の国に戻り、自分の力をコントロールして
かつては人を傷つけるだけだったその魔法で国の人を喜ばせる事をしている。

「ありのまま」をプロセスととるか、それともゴールととるか。
この違いはとても大きいよなあ、とそんな事を思いながらの映画鑑賞でした。