ハナモゲラボ / 試行錯誤の実験人生

日々、PCや各種デバイス、楽器等に翻弄されながら電脳の森をさまよう男の日常と様々な実験をさらりと記しております。

ウーマン・リブ運動の行き着く果てとは

November 03 2012

お昼前、テレビをぼーっと見ながら食事をしていたら
化粧品の紹介番組をやっていて、その中に登場した50歳前の女性が
「私にとっては美がすべて!それが『私がここにいる』という証明」と豪語していた。

その物言いにものすごく違和感を感じながら、メシをもしゃもしゃ食ってたんですが
ふと思い出したのは日本でも1960年代に起こった「ウーマン・リブ運動」の事。

1912年、ニューヨークでのウーマンリブ運動の様子

もともとは60年代後半の全共闘運動の際に、炊き出しなどをやっていた女性達が
「女は男の奴隷ではない」と主張した事から日本でも沸き起こった運動。
そして彼女たちは大学のミス・コンテストを
「男視点での美貌で女性を評価するのは差別だ」と中止に追い込んでしまったのだ。

そこから半世紀もたたないうちにテレビではこんなCMが流れている。
世の中の流れとは本当にすごいものだなあと実感せざるを得ない。

男女同権を叫びながらも、結局そういった呪縛から逃れられなかったのか
それとも現在はミスコン中止の時とは違って「同性の中での優位性」を問うために
「美」というものの価値観が変わっていったのか、いったいどちらなんだろうか。

少し前に海外ドラマの「セックス・アンド・ザ・シティ」がブームになった時、
あの4人の生き方、とか立ち振る舞いが女性達にたいそうウケたそうだけど
各登場人物のそれぞれのキャリア、社会的地位というものを直視したら
「男女同権」の意味がまったく変わってくるような気がしてならない。

コラムニスト、アートディーラー、弁護士、PR会社の社長というそれぞれの職業が
あってあの生活っぷりが成り立つわけで、「結果とプロセス」のどちらを見るか?という
部分があのドラマを見る際の踏み絵になっているのではないだろうか。

そして、最近話題の「美魔女」。

http://bimajo.jp/

「美魔女の魅力が社会を変える」、ですか。

僕はなにかがズレているような気がしてならない。
妙齢になって見た目だけが若く保たれている、というのがすべての評価になるのなら
あの時、ミスコンを中止に追い込んで男女同権を叫んだのはなんの為だったのだろう。
外側だけを見繕った「美」というのは総合的な美しさの何割を占めるのだろう。

人間、みんな年を取るのは当たり前だし、それに抗おうとする努力も理解できる。
しかしそれだけが評価の対象であってはおかしいし、それだけを目指すのも愚かだ。
この「美魔女」というプロジェクトは「国民的美魔女コンテスト」というのを
主催しているらしいけども、参加企業を見れば搾取する側される側の図式が
明確に出来上がっているのがよくわかる。

これにホイホイ乗ってしまうのは、女性にとって自分の首を締めるみたいなものだと
おっさんの自分は思うんだけど、やっぱり男には理解できない世界なのかな。

あの「美人すぎる○○」っていうのも実は失礼ですわな。
「もともとその職業にはブスしかいないけど、こんな美人もいる!」って
言われてるのと同じなわけだから、あんな事言われて喜んでたらダメだと思う。

色んな研究機関とか海外ボランティアなどで女性でしかできないきめ細やかな事を
男性に混ざってやっている妙齢の女性、の方が男の自分としてはグッとくるんですけどねえ。

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