67回目の終戦記念日でした。
昭和20年の春から8/15まではさまざまな事があり、それを乗り越えて今があるのですが
だからこそ「たった一つしかない真実」というものを知りたいわけです。

さて、今年のNHKスペシャルは
「終戦~なぜ早く決められなかったのか」という番組でした。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0815/

このサイトに書かれている番組の概要としては以下。

敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終 えることができなかったのか。当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。今回NHKは研究者の共同調査で、戦争末期 の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、英国の公文書館などから発見した。それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に 接近していたこと。また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことが わかってきた。1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。番組では、戦後に収録されながら 内容が公開されてこなかった当事者らの肉声証言なども検証し、重要な情報が誰から誰に伝えられ、誰には伝えられなかったのかを徹底分析。国家存亡の危機を 前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避しあっていた指導者の実態を浮かび上がらせる。国家的な岐路における重要な決定をめぐる課題につ いて、識者討論なども交えて考えいく。

番組をざっと見た印象は、予備知識のない人が見てどう残るかと言えば
「当時、上層部がちゃんと情報共有して早く決断をしていれば原爆もなかったのでは」
という感じの番組仕立てだったと思います。

歴史に「IF」はありません。
今、我々がここにこうして立っているのはその歴史を通り過ぎたからこそ。
この番組を見ながら「なんだかなあ」と思った部分を感想として記します。

ソ連の対日参戦を上層部が予め知っていたのでは?

というテーマで始まったこの番組ですが、今一歩踏み込みが足らなかったと思います。
昭和20年2月のヤルタ会談では連合国が「戦争後、どうすんべ?」という話を
各国首脳が集まって話し合ったのですが、その際にアメリカは
「千島・樺太を譲るから、その代わり日ソ中立条約を破棄して参戦してくれ」
という条件を提示しています。

ソ連は当時、反対側からグイグイ押してくるナチス・ドイツ軍に戦力を集中させたいので
右側、特に当時は満州国があった日本側と中立条約を結んでました。
命令聞かない事には定評のある関東軍が起こしたノモンハン事件などで
ちょっとした紛争もあったので、戦力を左右に振り分けてたんですが
この日ソ中立条約で、右側(日本側)の戦力を左に投入する事によって
スターリングラードの戦い以降、首都モスクワのすぐそこまで迫ったドイツ軍を
ぐいぐいと押し返すことに成功してたのです。
モスクワの冬の厳しさを知らなかったドイツ軍の不幸もありますけどね。

アメリカは日本との開戦からすぐにソ連に対して、参戦するように頼んでましたが
「ドイツとの戦争終わってからじゃないと無理。それに中立条約もあるし」と
断ってたんですけども、このヤルタ会談の時期といえば
ソ連軍はもはやドイツ首都、ベルリンまで迫りつつあり
D-Day(ノルマンディー上陸作戦)以降、連合軍はすでにライン川に達してたので
もはや、ドイツ降伏は既定路線でした。

で、このヤルタ会談でアメリカに参戦を求められたソ連は
「ドイツ降伏後、90日以内に日本との戦争を始める」と約束したのです。

NHKの番組では、武官が掴んだこのヤルタ会談の情報を
「今回(初めて)見つかった」と言ってましたが、
これは恐らくストックホルムの武官だった小野寺信少将が送った電報の事で
1996年の小説「ストックホルムの密使」でも描かれていた事だと思います。

それ以前にも、様々な人の回想録でもこの武官電報について触れられているんですが
どうしてNHKは「今回初めて見つかった」かのように冒頭で言ったのでしょうか。

竹野内豊を見た最初からなんとなく悪い予感しか、この番組からはしませんでしたが
これはもうなんとなく番組の結末が見えた予感がしました。

組織に対してのバッシングよりも

「情報共有がなされていない事に驚きを感じる」という論調でしたが
完璧に情報共有されている組織なんて、まずあり得るのでしょうか。

組織というのは、複数の人が集まって形成しているものであり
その集まった人がどんな人間か、という視点がこの番組には徹底的に欠けてました。

たとえば「徹底抗戦」を叫んだ人達、がどんな事をしとったかなんて
この番組を見ただけでは上層部の人達だけ、みたいな錯覚をするかも知れませんが
8/14に玉音放送の録音盤を取り返して、降伏をさせまいとした集団(宮城事件)など
実はとてつもなく歯止めが利かない集団なのです。
もはやこの時点で命令系統もクソもないわけですから、上層部の人達が慎重になるのも
わからないでもない。過去には5.15や2.26の「負の実績」もありますし。

あと、阿南陸軍大臣に降伏を進言した松谷誠大佐の周りが
いかにきな臭い人達でいっぱいであったかも、全く語られていませんでしたね。
「日本国家再建方策」という文章の中で「日本は敗戦後、社会主義国家を目指すべき」
と書いた人物に降伏を進言されても、そりゃやんわりと断るでしょう。

ヤルタでの情報が握りつぶされたのは、こういう「アカ」勢力が
参謀本部内にもいたので、敗戦後どっちに転ぶかすらわからなかったという
事情もあったのですね。

敗者としての見地

この番組は、今の政治とリンクさせて
「なぜ早く決められなかったのか」というテーマにしたんでしょうけども
当時の時代背景、たとえばたった終戦の5年後には代理戦争である朝鮮戦争が始まった
冷戦構造なんかも無視して、当時を語れるわけがないと思うんですがねえ。

敗者側の見地に立っての分析になるのは、わが国の場合仕方がないんだろうけど
それなら、ヤルタ会談で話された千島・樺太の話とかをもっと
がんがん突っ込んでやってもいいと思うんですけどね。

終戦の日に組まれる特集とかが悲惨なテーマになるのは、
やっぱり「負けた」という事実なんでしょうね。
国民全員が無理矢理国家に巻き込まれた、みたいな書き方になるけども
最初はほとんどの国民が「戦勝気分」に浮かれてたという話はあまり聞かない。

そして「敗戦」して「降伏」した8/15が
「勝利」して「開放」された日の国もあるって事も。