ハナモゲラボ / 試行錯誤の実験人生

日々、PCや各種デバイス、楽器等に翻弄されながら電脳の森をさまよう男の日常と様々な実験をさらりと記しております。

1日 ― 映画の日に「ボヘミアン・ラプソディ」を見て来ました

February 01 2019

朝起きてみんなを送り出してから「そうか今日1日やん」と思い出す。
1日という事は「映画の日」。早速映画.comアプリを起動すると朝イチからやってる所を発見。

行ってまいりました。話題作「ボヘミアン・ラプソディ」。
映画の日という事もあってか、客席の半分ぐらいは埋まってましたね。

見終わった感想としてはエンターテインメント映画としては最高でした。
映画のクライマックスはあの1985年の「ライブ・エイド」のステージでエンドロールという内容ですけども、やっぱり気になるのはライブ・エイドのステージ前にフレディが他のメンバーに「オレはエイズだ」と告白するシーン。

実際にはライブ・エイドの頃にはフレディはまだまだ元気だったし、あのライブの後にすぐレコーディングに入って4ヶ月後にはシングル「ワン・ビジョン」を出したりしてるので、なんかエライ印象変わるよなと。
確か自らをエイズと知ったのはライブ・エイドのライブから2年後、とフレディのパートナーは語っております。

映画館出てからもそれらをブツブツと考えながらカオマンガイとか食ってたんです。

で、思ったのがこういうのを気にするのは自分が中途半端ではあるものの、クイーンというバンドの歴史をかじっていて、映画で流れた曲を知っていて、ラストのライブ・エイドのステージ映像先に見ているという事だからなんだろうな、と。

あれだけ話題になってる、という事はですよ。
「クイーンのクの字も知らない人が見て感動」したからこそ、なのではないかと。

で、なんの予備知識もない人はきっと死を覚悟した男が、最後のステージで歌う「歌詞」を追うんだろうな、と思ったんですわね。
ライブエイドの再現度が、とかギターのフレーズがなんてのはきっと何の気にもならんはず。

実際にライブ・エイドでクイーンが演奏したのは出演者最多の6曲。

  1. ボヘミアン・ラプソディ
  2. レディオ・ガガ
  3. ハマー・トゥ・フォール
  4. 愛という名の欲望
  5. ウィ・ウィル・ロック・ユー
  6. 伝説のチャンピオン

の6曲で、映画「ボヘミアン・ラプソディ」では「愛という名の欲望」と「ウィ・ウィル・ロック・ユー」はカットされておりました。

「ボヘミアン・ラプソディ」の

さよなら、みんな。僕はもう行かなきゃ。
本当の事も何もかも隠してここを離れなきゃ。
ママ、僕は死にたくない。
時々生まれてこなきゃよかったなんて思うんだ。

「ハマー・トゥ・フォール」の

いよいよ鉄槌が振り下ろされる時がきた

「伝説のチャンピオン」の

何度も何度も代償は払ってきた
もともと犯した罪なんかないのに
いくつかひどい間違いを犯した事もあるし
顔に砂をひっかけられたこともあるけど
しかしオレは全て切り抜けてきた

俺達は王者なんだよマイフレンド
最後まで戦い続けようじゃないか
負け犬にかまっているヒマなんてない
だって俺達は世界の王者なのだから

も、全て「死を覚悟した男」が歌うとなると意味合いがまるで違ってきますし、
映画の各エピソードもこの最後のステージで歌われる言葉達に向けて配置されてる気がしました。

なので、どうしてもあそこで「死を覚悟」しなきゃならなかったのかな、なんて思ったり。
「お、ワシらまだまだイケるやん。よっしゃこのライブ終わったらすぐシングル出したろ」って実際は思ってなかったにせよ、史実通りであるならばそりゃ感動も半減しますわね(笑)

ジョン・レノンが家族愛に溢れてたというイメージになってたり、清志郎が反原発の最先端だったようになってたり、ロックスターの死後というのはどうしても実際とは違ったイメージが形成されていきがちです。

ロックスターじゃなくても「40センチのチヌを釣った事がある」という親戚のおじさんが、会う度にその話をしてると、いつの間にか1メートルの巨大魚になってたりするケースもあるように、想い出というのはどんどん美化されていくもの。

この映画は「クイーン」の歴史ではなくて「フレディ・マーキュリー」の生き様をモデルとしたフィクションである、ときっと今生きてる他のメンバーも納得したんじゃないだろうか。
特にロックスターには「伝説」が必要になりますからね。
ジミ・ヘンドリックスのチ○コの石膏の型が残ってる、とか究極にバカバカしいのも含めて僕たちはそういう「得体の知れないもの」を追いかけて、そして憧れてロックファンになったようなもんですから。

それにしても「俺達はファミリー(家族)だろ」みたいなセリフをこういうバンドもんの話ではよく聞きますけども、この手の事を自ら言う人間って大抵は「だから甘えさせてくれてもいいじゃないか」というのがセットになっとりますよね。
その反面、我慢しとる人間が出とるんやでという事には気付かないんでしょうな。

この映画でもこのセリフは出てきましたが、だから色々ズブズブのグダグダになるんやないかと個人的には思います。

集団で何かひとつのものを目指す、という場合には経験上こういうタイプの人がいると危険だなあと。
「家族的」であってもいいとは思いますけどね。
それも外側の人間が見てそう見えるならともかく、内部の人間が自ら「家族」とかを言い出すときっと失速も近いよねって自分は思っちゃいますね。

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