ここ最近は新御堂筋で通り過ぎるだけになってしまった感がある街、江坂。
江坂に一番行ってた頃っていつだっけか、と思い返すとそれはきっと行動範囲が急に広がった高校1年の時であろう。
電車に乗って出かける事はそれこそ小学校高学年ぐらいからやってましたが、その行き先はほぼ日本橋でんでんタウンでした。
パソコン&オーディオ少年だったもんですから、それこそあそこは自分に取っては夢のような街(笑)
今ではもうすっかりあの当時の面影はなくなってしまいましたけどね。

1986。高校1年。
江坂の街は当時の第一学区内からはいわば隣の町でした。
通っていた高校の下車駅からたった二つ向こうが江坂駅。
ここに向かった目的で一番多かったのはやっぱり東急ハンズ江坂店。
ここも当時と比べて規模がかなり縮小してしまってます。

変貌 ― 在りし日の東急ハンズ江坂店を思う

ここ最近では2019年1月に訪れているみたいです。

江坂と言えば思い出すのがミスタードーナツの江坂南ショップ。
5年ほど前にビルの解体に伴って閉店してしまいましたが、あんなデカいミスド(2階席があった)はインパクトあった。
そういえばミスドが飲茶を始めた時、あの店が一番最初じゃなかったろうか。

ミスタードーナツはもともとアメリカで創業されたんですが、現在は本家はすでに消滅してるそうで。
日本に入ってきたのが1971年(自分と同い年)で、その当時から現在もダスキンが運営している。

そして、ダスキンの本社も江坂にあるんよね。
ダスキンフードグループは80年代当時はそれこそ色んなレストランを江坂に出してましたな。
紡績工場をそのまま利用した巨大レストラン「カーニバルプラザ」も江坂にありました。
行ってみたいな、と思いつつ行けないまま閉店してしまいました。
大正7年に建てられたレンガ造りの建物だと、今では耐震基準が絶対クリア出来んでしょうしね・・・
ダスキンの本社ビル1Fにも「フォグシティダイナー」なんていうレストランも出してましたね。

当時は流行だったのか、それともダスキンフードグループの戦略だったのかアメリカのイメージをそのまま持ってきた様なコンセプト。

このアメリカアメリカした感じはあの頃梅田センタービルにあった「スチュードベイカーズ」もそうでしたね。
同じ敷地内にミスタードーナツがありまして、そっちには良く行ってた(友人のお姉さんがバイトしてたので制服姿を見に)んですが、「スチュードベイカーズ」は結局、外から眺めてる内に閉店してました(笑)
どうやら50年代アメリカをコンセプトにしたディスコだったようですが、当時のダスキン、イケイケやん・・・・
今では絶対にビジネスとして成り立たないでしょうねえ・・

梅田センタービルのミスドもいつの間にかなくなっており、今は美容室になってるようです。
https://mashu.jp/lumier_de_mashu

それにしても86年~93年あたりの風景とか写真や話題ってネットでもなかなか見つけにくい。
それこそ魔の空間みたいにぽっかりとそこだけ穴が空いたように抜け落ちてる。

デジタルカメラが世間に認知されだしたのが2000年代に入った辺り、ですかね確か。
80年代から90年代にかけての写真をデジタル化するにはスキャナーが必要って事になるので、デジカメよりも敷居が高くなるせいなのかな。

これはとっても貴重な記録!

自分は当時、カメラなんてもちろん持ってなかったんで記憶の風景をたぐり寄せるしかないんですわね。
ま、もはや楽しかった事しか思い出せないですが(笑)

これもすごい!!